プロイセンは、国民を一人前の市民として扱わなければならなくなった

フランス革命が数年間続いた(1789年~1794年)後、ナポレオンが現れました。彼は国内の混乱を収めて国を安定させると、いよいよヨーロッパ諸国の征服に乗り出しました。フランス軍は、ナポレオンが名将であるだけでなく、フランス人の兵卒の志気が高かったために天下無敵でした。

ヘーゲルの祖国であるプロイセンの陸軍は、よく訓練されて非常に強いという評価でしたが、ナポレオンと戦って大敗北してしまいました。そして領土を半分に削られ、略奪され、重税を課された上に、フランスの従属国にされてしまいました。

ただし、ナポレオンは征服地を略奪するだけでなく、征服した国の国民の人気を得ようとして、Freedom(自由)と平等というフランス革命の成果である法体系を導入したり、国家組織を近代的なものに改めたりしました。

そのためにナポレオンに征服された諸国の庶民は、一方で略奪され重税を課され若者を兵士にとられてフランスを恨みましたが、その一方で自由や平等という発想をもたらしたフランス軍を歓迎したという側面もありました。

ナポレオンに大敗して痛めつけられたプロイセンの支配者たちは、独立を回復してフランスに復讐し、減らされた領土も元に戻してさらに拡張しようとしました。ところが肝心の国民の志気が期待したように盛り上がりませんでした。

プロイセンの国民は、江戸時代の百姓や町民と同じようにただ支配されて税金を払っているだけだったので、プロイセン王国に対する愛国心を持てなかったからです。さすがのプロイセンの支配者たちも、自国民を市民としてまともに扱わないと、独立を回復することはできないことを悟りました。

そこでプロイセン政府は、フランスと同じように、国民に誇りと愛国心を持たせようとしました。そのためには国民にFreedomを保障し、一人前の市民として処遇する必要があります。このようにして、プロイセンの近代化に向けた改革が始まりました。プロイセンだけでなくドイツ中で、愛国心を鼓舞する運動が盛り上がりました。

以下はひと続きのシリーズです。

11月29日 古典的な自由主義経済理論は、今も有効なのか

11月30日 大恐慌後、国際貿易は高関税政策によって半減した

12月1日 ヒトラーは、公共投資を大規模に行って経済を立て直した

12月2日 ヒトラーは人の心に訴えた

12月3日 社会主義というのは、何が正しいかを国家が決める、という考え方

12月5日 ナチス・ドイツは社会主義国家だった

12月7日 社会主義も、Freedomの一つの解釈である

12月10日 社会主義は、ドイツ哲学の流れから生まれた

12月12日 フランス革命軍の兵卒の志気は高かった

12月14日 プロイセンは、国民を一人前の市民として扱わなければならなくなった

12月17日 ヘーゲル哲学は、プロイセン政府に好都合だった

12月19日 マルクスは、ヘーゲル哲学を進化させて社会主義思想を生み出した

12月21日 労働組合所属の熟練労働者の賃金が、中産階級より高くなった

12月24日 大企業と組合は、社会主義の考え方を利用して市場の独占を図った

12月26日 ドイツはもともと社会主義思想が強かったから、ヒトラーは公共投資をできた

12月28日 第二次世界大戦前のアメリカ政界には、ソ連のスパイが大勢いた

1月4日 アメリカにも社会主義思想が広まっていた

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