大恐慌がアメリカで起きた時に、フーバー大統領は自由主義経済理論に基づいて経済活動を市場に任せ続け、公共事業を行おうとはしませんでした。彼は、国内の市場に対しては自由放任策で一貫していたのです。
ところが彼は、世界的な市場経済に対する視点が欠けていました。アメリカ議会は不況に苦しむ国内産業を外国製品から守ろうとして、輸入関税を大幅に高くする(平均40%)法律を可決し(スムート・ホーリー関税法)、フーバー大統領はそれを阻止しませんでした。
諸外国がアメリカに対抗していっせいに関税率を高めたために、アメリカは国内産業を輸入品から守ることはできましたが、製品の輸出も激減しました。世界全体で貿易額が半減したのです。
結局、世界中の列強が自国の経済圏の中で自給自足の経済生活をしようとしたため、世界全体の需要が大幅に減少し、恐慌が余計に深刻になりました。アメリカは自国の経済を恐慌から脱出させようとして高関税政策を採ったのですが、かえって裏目に出たのです。
列強が自国の経済圏を高関税で囲ってブロック経済を始めたため、アメリカやイギリスといった資源を豊富に抱える国と日本やドイツなど資源のない国の対立が激しくなり第二次大戦が起こりました。
大恐慌が起きた翌年の1930年には、列強は高関税政策を採用して貿易の統制を始めましたが、これは政府が経済活動に介入したということです。つまりこの段階で、世界全体の経済は自由主義経済体制から統制経済に移行した、ということです。
列強が関税率を大幅に引き上げるという形で経済に介入したために、各国の経済は自律反転するチャンスを失い、大恐慌が余計深刻になり長引きました。つまり、世界中が肝心な時期に経済に変な介入をしたために、恐慌が深刻になったわけです。
ところが、当時の列強の為政者たちには、自分たちが自由主義経済体制を覆したという自覚がありませんでした。そして、「古典的な自由主義経済体制はもはや有効ではない。この体制では大恐慌を克服できない」と誤解してしまったのです。
以下はひと続きのシリーズです。
11月30日 大恐慌後、国際貿易は高関税政策によって半減した
12月1日 ヒトラーは、公共投資を大規模に行って経済を立て直した
12月3日 社会主義というのは、何が正しいかを国家が決める、という考え方
12月14日 プロイセンは、国民を一人前の市民として扱わなければならなくなった
12月19日 マルクスは、ヘーゲル哲学を進化させて社会主義思想を生み出した
12月21日 労働組合所属の熟練労働者の賃金が、中産階級より高くなった
12月24日 大企業と組合は、社会主義の考え方を利用して市場の独占を図った
12月26日 ドイツはもともと社会主義思想が強かったから、ヒトラーは公共投資をできた