ヘーゲルは、「人間は、国家の意志に従え」と主張したので、国家の支配者にとって極めてありがたい学者です。だからプロイセン政府はヘーゲルを大事にして、ベルリン大学の総長にしました。また彼の哲学は、プロイセンだけでなく西欧の各国で盛んに講じられ、西欧の支配層に大きな影響を及ぼしました。
ヘーゲル(1770年~1831年)が活躍していた時のヨーロッパやドイツは激動していました。彼が子供の時は啓蒙主義の時代で、キリスト教の影響力が徐々に低下しました。彼が19歳のときにフランス革命が起きてフランス王が死刑になり、ヨーロッパ中の王室や支配層が衝撃を受けました。
フランス革命を早い段階で潰さないと、革命が外国にも及んできて、外国の王や支配者たちも殺されてしまいます。そこでヨーロッパ中の王国の軍隊が、一斉にフランスに攻め込んできました。
一方の迎え撃つフランス革命軍の組織力は著しく低下していました。軍隊の指揮には、永年にわたる教育と訓練が必要なので、素人では務まらないのです。ところがフランス軍の将校は、ほとんどが貴族でした。そこでフランスの革命政府は、貴族を指揮官に任命せざるを得ませんでした。当然ながら革命政府と貴族出身の指揮官は互いに疑心暗鬼で、ぎくしゃくした関係だったのです。
例えば、ナポレオンの妻になったジョセフィーヌは、ボーアルネ子爵と結婚していました。アレクサンドル・ド・ボーアルネ子爵はフランス革命軍の指揮官だったのですが、革命政府への忠誠心を疑われ、ギロチンで首を切られてしまいました。未亡人になっていたジョセフィーヌをナポレオンは妻にしたのです。
フランス革命軍の内情を周辺の王国は知っていたので、容易にフランス革命軍に勝てると思っていました。ところが実際に戦ってみると、フランス革命軍は意外に強いということが分かってきました。
例えば、フランスのヴァルミーでフランス革命軍とプロイセン王国軍が戦闘しました(1792年)。プロイセン軍の砲撃でフランス軍に多くの犠牲が出たのですが、逃げずに抵抗を続けたのです。最後にはプロイセン軍が根負けして撤退しました。フランス革命軍の兵卒の志気が高かったのです。
以下はひと続きのシリーズです。
11月30日 大恐慌後、国際貿易は高関税政策によって半減した
12月1日 ヒトラーは、公共投資を大規模に行って経済を立て直した
12月3日 社会主義というのは、何が正しいかを国家が決める、という考え方
12月14日 プロイセンは、国民を一人前の市民として扱わなければならなくなった
12月19日 マルクスは、ヘーゲル哲学を進化させて社会主義思想を生み出した
12月21日 労働組合所属の熟練労働者の賃金が、中産階級より高くなった
12月24日 大企業と組合は、社会主義の考え方を利用して市場の独占を図った
12月26日 ドイツはもともと社会主義思想が強かったから、ヒトラーは公共投資をできた