大恐慌当時の列強の為政者たちには、関税を大幅に引き上げて市場に介入しておきながら、自分たちが自由主義経済体制を覆したという自覚がありませんでした。そして、「古典的な自由主義経済体制はもはや有効ではない。この体制では大恐慌を克服できない」と思ってしまいました。
そこで各列強は経済活動を市場に任せる自由主義経済政策を放棄して、公共事業など政府が市場に介入する統制経済の方向に向かいました。この当時、自由主義経済政策を堅持した国はなく、どの国も多かれ少なかれ統制経済を採用していました。
ソ連は西側資本主義国家と経済的に断絶していたために、大恐慌の影響を受けませんでした。また人・物・金の経済的資源を一般人の生活を犠牲にして重工業部門に優先的に投資するという計画経済を採用し、これが一時的に成功しました。
計画経済は短期的にはかなりの成果を挙げることができるのです。1928年から1937年までの10年間のソ連経済は、年間のGDP成長率が10%を超えていました。さらにソ連は、醜悪な人権弾圧の実態を西側諸国に隠し、失業が無く豊かな社会であることをもっぱら宣伝しました。
同時期に、ヒトラーが権力の座に着いて、短期間にドイツの経済を立て直しました。第一次大戦で敗けたドイツは、経済が崩壊した上に、とんでもない金額の賠償金を負わされて経済基盤が弱体化していました。そのためアメリカ発の大恐慌の影響が大きく、失業率が40%にまで達していたのです。
ヒトラーには天才的なところがあり、公共投資をガンガン行えば失業が減り経済は回復する、と直感的に考えました。そしてアウトバーン(高速道路網)建設などの公共工事と軍需産業への投資を積極的に行い、見事にドイツ経済を立て直したのです。
ソ連の宣伝を真に受け、さらにドイツ経済の奇跡的な復活を目の当たりにした西側知識人は、自由主義経済政策は時代遅れであり、政府が積極的に公共投資をして経済を立て直さなければならない、と考えるようになりました。
以下はひと続きのシリーズです。
11月30日 大恐慌後、国際貿易は高関税政策によって半減した
12月1日 ヒトラーは、公共投資を大規模に行って経済を立て直した
12月3日 社会主義というのは、何が正しいかを国家が決める、という考え方
12月14日 プロイセンは、国民を一人前の市民として扱わなければならなくなった
12月19日 マルクスは、ヘーゲル哲学を進化させて社会主義思想を生み出した
12月21日 労働組合所属の熟練労働者の賃金が、中産階級より高くなった
12月24日 大企業と組合は、社会主義の考え方を利用して市場の独占を図った
12月26日 ドイツはもともと社会主義思想が強かったから、ヒトラーは公共投資をできた