「南朝鮮はアメリカや日本のせいで堕落してしまったが、北朝鮮は李氏朝鮮以来の伝統を受け継いでおり、正しい」。このように考えている南朝鮮人が増えた、という説があります。
一見、トンデモ説のように見えますが、これを主張しているのが、南朝鮮で生まれ日本に帰化して朝鮮を良く知っている呉善花教授なのです。そして実際に、このように考えている南朝鮮人が多いので、南を北の飲み込ませようと考えている文在寅が大統領になれたのです。
北朝鮮の過酷な政治体制は、歴代の朝鮮の王朝がやってきた政治そのままです。そもそも北朝鮮は王制を敷いており、それを見ただけでも、決して共産主義体制ではないことが分かります。
李氏朝鮮は、王家に逆らう者を根こそぎ虐殺しました。朝鮮には「罪は三族に及ぶ」という考え方が昔からあって、本人だけでなく親や子さらにはその配偶者まで殺しました。そのことが分かっていたので、犯罪者の肉親の多くは自殺しました。
例えば、親日派が行った甲申クーデター(1884年)が失敗した時、その首謀者の朴泳孝は日本に逃げましたが、父親は孫を殺してから自殺しました。北朝鮮も同じで、南朝鮮に亡命した北朝鮮高級幹部の黄長燦の妻は服毒自殺し、娘は列車に飛び込んで自殺しました。
北朝鮮の「将軍様」が側近を多数粛清していることは、日本でも知られています。これを日本人は「なんと野蛮な」と感じ、北朝鮮を嫌悪します。ところが南朝鮮人は、「北朝鮮のやり方が朝鮮の伝統にかなっている」と考え、南朝鮮政府がそこまでやらないのを「アメリカや日本の考え方に染まっていて、伝統を見失っている」と感じるのだそうです。
南朝鮮の法体系は、日本が戦前に導入したもので、世界的にも常識的なものです。ところが南朝鮮人はそれを、堕落した日本の影響だと感じるのです。だから朝鮮の伝統的な考え方をその上に持ってきてしまうのです。これが「国民情緒法」の正体です。
日本は伝統的に専制政治ではありません。江戸幕府は老中の会議で政策を決定していて、決して将軍の専制政治ではありませんでした。各藩も家老たちの合議で藩政を行っていました。日本人と朝鮮人では、専制に対する感覚が違うのです。
以下はひと続きのシリーズです。
11月9日 敗戦後に、手のひらを返したように、朝鮮人は反日になった
11月12日 アメリカ軍は、朝鮮人が自立できないことを知っていた
11月13日 南朝鮮は、日本に逃げてきた済州島民の引き取りを拒否した
11月14日 毛沢東は、自分に反抗的な軍人を始末するために、朝鮮戦争に参戦した
11月15日 朝鮮戦争当時の指導者は、個人的な利益のために戦争をした
11月16日 アメリカの支配者は、朝鮮戦争に勝つことを望んでいなかった
11月19日 なぜ朝鮮人は反日なのか、専門家の意見を紹介する
11月21日 実務を行っていた「親日派」を弾圧するわけにはいかなかった
11月22日 軍人政権時代は、南朝鮮の独立は自らが勝ち取ったものではない、と分かっていた
11月23日 為政者を選挙で選んだからといって、先進国になれるわけではない
11月24日 朝鮮は、民主国家になる二つの条件の両方を欠いている
11月25日 朝鮮人は、朝鮮は世界の中心だ、と考えるようになった