西欧人の植民地支配の方法として「Divide and rule(分割して統治せよ)」というのがあります。支配者の白人が直接現地人に接するのではなく、その間に第三国人を入れて、憎悪の対象を第三国人に振り向けようとする政策です。
アメリカは、これをやりました。日本国内にいる朝鮮人の数々の不法行為に目をつぶり、War guilt information program(日本人に悪いことをしたという罪悪感を植え付ける政策)の中に、「支那人と朝鮮人を批判してはならない」という項目を入れました。
朝鮮人は、駅前の一等地を勝手に占拠したりしました。いま駅前にパチンコ屋が多いのは、この時に朝鮮人が場所を不法占拠し、そこにパチンコ屋を開いたのです。なお、当時アメリカは日本人が大好きな軍艦マーチを演奏することを禁じていましたが、パチンコ屋内だけは許可していました。パチンコ屋で今でも軍艦マーチを流しているのは、このような経緯からです。
阪神淡路大震災の時、神戸の長田町は区画整理をしておらず道路が狭くて消防車が入らず、町が全焼しました。それは土地を不法占拠した朝鮮人が多く住みついており、区画整理をしたらその不法占拠が表面に出てしまうので、拒んでいたからです。
朝日新聞などは朝鮮の新聞のように振る舞っていますが、これはWar guilt information programの呪縛から抜け出していないからだ、という側面もあります。敗戦後にこのような無法が朝鮮人によって数多く行われたことを、日本人も認識すべきです。
敗戦後に朝鮮人が駅前の土地を不法に占拠しましたが、すでに時効なので取り返しすることはできない、と一般には考えられています。しかし私は、この考え方は誤っていると思います。時効というのは社会の安定性を優先するために正義を犠牲にしようとする考え方ですが、私は正義を優先すべき時もあると考えます。
2010年以前は、殺人に関して25年の時効がありました。25年前に人を殺した者が、その後結婚し家族と楽しく暮らしているときに逮捕され死刑になったら、犯人の子供が可哀想だろう、という考え方からです。しかし2010年に殺人に関する時効が撤廃されました。社会の法的安定性よりも、正義を守るほうが大事だと判断を変えたからです。
以下はひと続きのシリーズです。
11月9日 敗戦後に、手のひらを返したように、朝鮮人は反日になった
11月12日 アメリカ軍は、朝鮮人が自立できないことを知っていた
11月13日 南朝鮮は、日本に逃げてきた済州島民の引き取りを拒否した
11月14日 毛沢東は、自分に反抗的な軍人を始末するために、朝鮮戦争に参戦した
11月15日 朝鮮戦争当時の指導者は、個人的な利益のために戦争をした
11月16日 アメリカの支配者は、朝鮮戦争に勝つことを望んでいなかった
11月19日 なぜ朝鮮人は反日なのか、専門家の意見を紹介する
11月21日 実務を行っていた「親日派」を弾圧するわけにはいかなかった
11月22日 軍人政権時代は、南朝鮮の独立は自らが勝ち取ったものではない、と分かっていた
11月23日 為政者を選挙で選んだからといって、先進国になれるわけではない
11月24日 朝鮮は、民主国家になる二つの条件の両方を欠いている
11月25日 朝鮮人は、朝鮮は世界の中心だ、と考えるようになった