第二次大戦中のアメリカ軍は、ドイツと戦うヨーロッパ遠征軍をアイゼンハワーが率い、日本と戦う太平洋遠征軍をマッカーサーが率いていました。戦後、アイゼンハワーは政界で勢力を伸ばし、次期大統領になりそうな勢いでした。しかしマッカーサーはトルーマン大統領に嫌われ、冷遇されていました。そこで朝鮮戦争で一発逆転を狙っていたのです。
第二次大戦前後のアメリカは共産主義者の勢力が強く、ソ連や支那に対して宥和的でした。反共のドイツや日本を敵に回しソ連と同盟を結んだのも、政界上層部にソ連のスパイや共産主義者が大勢いたからです。アイゼンハワーはこの辺を察してうまく立ち回ったのですが、マッカーサーにはそういう政治的センスがなかったのです。
1951年にマッカーサーはアメリカ議会で、「日本には原材料がないから、その供給を断たれたら1000万人から1200万人の失業者が出る。それゆえ日本が戦争を行ったのは、主として安全保障によるものだった」と証言しました。
日本が戦争をしたのは正当行為だったと証言したわけです。これはマッカーサーの本心から出たものですが、それと同時に自分を冷遇したアメリカの支配層に対する面当てという面もありました。
北朝鮮の金日成も南朝鮮の李承晩も、戦況が不利になると軍隊を置き捨てて逃げています。これには援軍の立場のアメリカ軍も支那軍も激怒していて、マッカーサーは李承晩を怒鳴りつけ、支那軍の司令官の彭徳懐も金日成を怒鳴りつけています。一説によると彭徳懐は、金日成をぶん殴ったそうです。指揮官が真っ先に逃げ出すというのは、朝鮮の伝統なのです。セウォウル号の船長が沈む船からまっさきに逃げ出したのも、朝鮮の伝統に従った行為です。
南朝鮮の大統領の李承晩は、自身の再選を図って改憲をしようとして、朝鮮戦争のさなかに、反対派の国会議員150名を逮捕したり、暴力団を使って反対派を弾圧したりしていました。また、南朝鮮の軍隊幹部が戦争中に、軍用物資や食料を横領したため、南朝鮮軍の兵士が9万人も餓死しました。
朝鮮戦争の当事国の指導者(金日成、李承晩、毛沢東、マッカーサー)のどれを見ても、自国の国益を守ろうというより、個人的な利益のために戦争に参加したように見えます。
以下はひと続きのシリーズです。
11月9日 敗戦後に、手のひらを返したように、朝鮮人は反日になった
11月12日 アメリカ軍は、朝鮮人が自立できないことを知っていた
11月13日 南朝鮮は、日本に逃げてきた済州島民の引き取りを拒否した
11月14日 毛沢東は、自分に反抗的な軍人を始末するために、朝鮮戦争に参戦した
11月15日 朝鮮戦争当時の指導者は、個人的な利益のために戦争をした
11月16日 アメリカの支配者は、朝鮮戦争に勝つことを望んでいなかった
11月19日 なぜ朝鮮人は反日なのか、専門家の意見を紹介する
11月21日 実務を行っていた「親日派」を弾圧するわけにはいかなかった
11月22日 軍人政権時代は、南朝鮮の独立は自らが勝ち取ったものではない、と分かっていた
11月23日 為政者を選挙で選んだからといって、先進国になれるわけではない
11月24日 朝鮮は、民主国家になる二つの条件の両方を欠いている
11月25日 朝鮮人は、朝鮮は世界の中心だ、と考えるようになった