李承晩は、日本海に勝手に李承晩ラインという境界線を設定し、その中で操業していた日本漁船を拿捕しました。これによって日本人漁師4000人以上が不当に抑留され、拷問による死者や不具者が出ました。また竹島を不法に占拠しました。これも朝鮮戦争中のことです。北朝鮮も南朝鮮の占領地で数十万人の地主や警官などを殺しています。南北ともに戦争をするということがどういうことなのか、よく分かっていないようです。
南朝鮮も北朝鮮もまじめに戦争をしようとせず、李承晩も金日成も逃げ回ってばかりでした。そのために本来は援軍だったはずの支那軍とアメリカ軍が正面から戦っていて、当事者であるはずの南北朝鮮の軍隊は傍観者になるという、おかしなことになってしまいました。その結果、南北朝鮮は当事者能力を失い、戦争の行く末はアメリカと支那やソ連の意向に左右されることになりました。
マッカーサー回想録や学者の研究を読んでみると、マッカーサーは戦争に勝とうと努力していましたが、大統領などアメリカの上層部はアメリカ軍に勝って欲しくなかったようで、マッカーサーの邪魔ばかりしています。
アメリカ軍が本気を出したら支那軍など対抗できないのに、1951年から戦線がこう着状態になって、だらだらと戦争が続いていました。1953年にソ連のスターリンが死んでソ連と支那の不仲が表面化し、アメリカの大統領がトルーマンからアイゼンハワーに交代して、やっと休戦協定が成立しました。
日露戦争以後、アメリカは日本にずっと脅威を感じていました。大東亜戦争で日本を破り占領した後、絶対に日本を復興させまいと決めていました。しかし、朝鮮戦争を契機としてアメリカは対日政策を大変換しました。朝鮮特需で日本経済は復興を開始し、再軍備も課題になりました。
マッカーサーはまじめな軍人ですから、朝鮮戦争に日本軍も投入しようとし、吉田茂首相に再軍備を迫りました。しかし、経済的な復興を優先する吉田茂は憲法第9条の改正と再軍備を渋り、腹心をアメリカに派遣して、マッカーサーを飛ばして直にアメリカの支配層と交渉をしました。そして、警察予備隊(自衛隊の前身)という中途半端な組織を設置し、本格的な日本防衛をアメリカに委ねて日米安全保障条約を締結しました。
以下はひと続きのシリーズです。
11月9日 敗戦後に、手のひらを返したように、朝鮮人は反日になった
11月12日 アメリカ軍は、朝鮮人が自立できないことを知っていた
11月13日 南朝鮮は、日本に逃げてきた済州島民の引き取りを拒否した
11月14日 毛沢東は、自分に反抗的な軍人を始末するために、朝鮮戦争に参戦した
11月15日 朝鮮戦争当時の指導者は、個人的な利益のために戦争をした
11月16日 アメリカの支配者は、朝鮮戦争に勝つことを望んでいなかった
11月19日 なぜ朝鮮人は反日なのか、専門家の意見を紹介する
11月21日 実務を行っていた「親日派」を弾圧するわけにはいかなかった
11月22日 軍人政権時代は、南朝鮮の独立は自らが勝ち取ったものではない、と分かっていた
11月23日 為政者を選挙で選んだからといって、先進国になれるわけではない
11月24日 朝鮮は、民主国家になる二つの条件の両方を欠いている
11月25日 朝鮮人は、朝鮮は世界の中心だ、と考えるようになった