南朝鮮は独立後、何とかして近代的な民主国家になろうとして、①法治国家になる、②国民全体が仲間だという意識を持つ、という目標に向かって努力しました。
「法治国家になる」という目標については、日本の法体系をそのまま持ってくることによって行おうとしました。30年ぐらい前のことですが、私は南朝鮮で民事訴訟をしたことがあります。この時に、朝鮮の裁判所では、日本の法律や判例だけでなく単なる日本の学者の学説も裁判官は考慮する、ということを知り吃驚しました。
何とか日本並みの法治国家になろうと考えたのです。しかしその後、南朝鮮の法体系がどんどん崩れ、「国民情緒法」が出現し、いわゆる徴用工裁判など、国際法や条約を無視する事態になっています。結局、南朝鮮は法治国家になれませんでした。
二番目の目標である、「国民全体が仲間だという意識を持つ」ということも失敗しました。
朝鮮は極端な階級社会で、日本が朝鮮を統治するまでは、上は両班から下は奴婢まで身分が五段階に分かれていました。その階級差別の厳しさは、インドのカースト並みです。さらに地域ごとに対立しています。旧百済地域だった全羅道や済州島の住民に対する差別意識は尋常ではありません。そもそも歴代王朝は北から攻め込んできた異民族なので、民族的にも雑多です。
南朝鮮は、財閥企業の正社員か否かで給与がまるで違います。国民一人あたりの所得は日本の方がかなり高いのですが、南朝鮮の財閥企業の社員の年収は日本の大手企業の社員の年収より高いです。また失業率も高いです。
そこで国民の不満が高まり、なんと国民の8割が「チャンスがあったらこの国から脱出したい」と考えています。国民は自国に誇りを持たず、国を何とかしようという愛国心もありません。国民の間に仲間意識がなく、「自分さえよければ、あとはどうなっても良い」と考えているのです。
結局、南朝鮮は民主国家になるための二つの条件の両方とも欠けており、民主国家にはなれません。
以下はひと続きのシリーズです。
11月9日 敗戦後に、手のひらを返したように、朝鮮人は反日になった
11月12日 アメリカ軍は、朝鮮人が自立できないことを知っていた
11月13日 南朝鮮は、日本に逃げてきた済州島民の引き取りを拒否した
11月14日 毛沢東は、自分に反抗的な軍人を始末するために、朝鮮戦争に参戦した
11月15日 朝鮮戦争当時の指導者は、個人的な利益のために戦争をした
11月16日 アメリカの支配者は、朝鮮戦争に勝つことを望んでいなかった
11月19日 なぜ朝鮮人は反日なのか、専門家の意見を紹介する
11月21日 実務を行っていた「親日派」を弾圧するわけにはいかなかった
11月22日 軍人政権時代は、南朝鮮の独立は自らが勝ち取ったものではない、と分かっていた
11月23日 為政者を選挙で選んだからといって、先進国になれるわけではない
11月24日 朝鮮は、民主国家になる二つの条件の両方を欠いている
11月25日 朝鮮人は、朝鮮は世界の中心だ、と考えるようになった