敗戦によって、朝鮮半島はアメリカとソ連に分断されました。北は、日本相手にゲリラ戦を戦っていた金日成が国を作ったということになっていますが、これはウソです。そもそも金日成というのは、「抗日ゲリラの英雄」という都市伝説のたぐいの普通名詞で、特定の人物を指す固有名詞ではありません。日本が戦争に負ける以前に、何人もの金日成が存在したのです。
日本の敗戦後に、ソ連軍の将校だった朝鮮人を連れて来て、「これが金日成だ」と宣言して、傀儡政権のボスにしただけなのです。伝説の英雄にしては若すぎ(1912年生まれとすれば、日本の敗戦当時33歳)おまけに朝鮮語も話せなかったようです。子供二人の名前はロシア語でした。そして、金日成の正体を見抜いた者は、みな殺されました。
一方の南朝鮮では、アメリカは、朝鮮総督以下の日本人をそのまま残して、統治をさせていました。ところが日本が負けたのに自治が出来ないのはおかしい、と朝鮮人が騒ぎ始めたため、アメリカ軍のアーノルド少将が軍政を始めました。
なぜアメリカが南朝鮮を自立した国家にせず、日本の朝鮮総督府に引き続き統治させたり、アメリカの軍人に軍政をさせたりしたのかというと、アメリカ人が朝鮮人のことを少しは知っていたからです。即ち朝鮮人は自分で統治する能力がなく、現代国家を管理する政治的経験を持たない、というレポートを専門家から受けていたからです。
ポツダム宣言の趣旨は、「日本の圧政に苦しんでいた朝鮮人を解放する」という建前だったのですが、大多数の朝鮮人の意識は日本人でした。そこで、反日の朝鮮人を傀儡に使って、日本への親近感を破壊しようとし、従来の政策を変更しました。
反日朝鮮人は何人かいました。金九は、テロリストで1932年に昭和天皇の暗殺未遂事件を起こしていますが、朝鮮の独立運動は一切していません。李承晩は、実施の活動は何もしていなかったのですが、英語が出来てアメリカに自分を売り込んでいました。彼らはみなアメリカに対して、反日と反共で自分を売り込んだのですが、クリスチャンだったこともあり李承晩がアメリカへの食い込みに成功しました。
アメリカは、結局南朝鮮に政府を作らせようとして、選挙を行いました。金九などはこの選挙によって南北の分断が固定化されるとして反対しましたが、李承晩はこれに賛成してさらにアメリカから可愛がられることになりました。
以下はひと続きのシリーズです。
11月9日 敗戦後に、手のひらを返したように、朝鮮人は反日になった
11月12日 アメリカ軍は、朝鮮人が自立できないことを知っていた
11月13日 南朝鮮は、日本に逃げてきた済州島民の引き取りを拒否した
11月14日 毛沢東は、自分に反抗的な軍人を始末するために、朝鮮戦争に参戦した
11月15日 朝鮮戦争当時の指導者は、個人的な利益のために戦争をした
11月16日 アメリカの支配者は、朝鮮戦争に勝つことを望んでいなかった
11月19日 なぜ朝鮮人は反日なのか、専門家の意見を紹介する
11月21日 実務を行っていた「親日派」を弾圧するわけにはいかなかった
11月22日 軍人政権時代は、南朝鮮の独立は自らが勝ち取ったものではない、と分かっていた
11月23日 為政者を選挙で選んだからといって、先進国になれるわけではない
11月24日 朝鮮は、民主国家になる二つの条件の両方を欠いている
11月25日 朝鮮人は、朝鮮は世界の中心だ、と考えるようになった