アメリカは、南朝鮮に国家を作ろうとして国民投票を実施しました。この選挙に多くの朝鮮人が反対し、選挙中に暴動が多発しました。その中でも済州島の暴動が有名です(四・三事件 1948年4月3日)。翌5月に大統領になった李承晩は軍隊を動員して徹底的に弾圧しました。
「1945年8月15日に日本が降伏して、朝鮮は独立した」と南朝鮮は主張し、8月15日を「光復節」と称して祝っています。しかしこれはウソで、アメリカが三年間南朝鮮を統治していました。最終的にアメリカが大韓民国を作らせたのは、1948年8月15日です。誤解されるように、月と日だけは日本の降伏と合わせています。
結局、済州島の島民30万人の五分の一にあたる6万人が殺され、多くの島民が日本に逃げ出しました。済州島は古代から耽羅国という独立性の強い地域で、海女の伝統があるなど朝鮮とは文化的にかなり違います。また、罪人が島流しにされる土地であり、差別意識が旺盛な本土の朝鮮人からひどく蔑まれていました。李承晩が済州島で大虐殺を行ったのも、差別意識が根底にあったからです。
なお、済州島から逃げていた済州島民は、日本で不法滞在者になりました。当時の日本はアメリカに占領されており、極めて弱い立場にありました。日本は彼らを送還しようとしましたが、李承晩はそれを拒否しました。
結局日本は、済州島出身の不法滞在者に永住権を与えざるを得なくなりました。このように不正なことがいまだに是正されていません。私は彼らから永住権を取り上げて強制送還すべきと考えます。彼らにとっては気の毒な面もありますが、彼らの生活を考えるのは同じ朝鮮人であるはずで、日本にその世話を押し付けるのは、正義に反します。
朝鮮人のように国を統治した経験がなく、差別意識が激しくて国民どうしが助け合おうとしない民族にアメリカ式の強力な大統領制を与えれば、どういうことになるかアメリカも分かっていたはずです。ところがアメリカは、李承晩というアメリカに尻尾を振るだけで国家を統治する能力がない人物が大統領になるように仕向けました。
以下はひと続きのシリーズです。
11月9日 敗戦後に、手のひらを返したように、朝鮮人は反日になった
11月12日 アメリカ軍は、朝鮮人が自立できないことを知っていた
11月13日 南朝鮮は、日本に逃げてきた済州島民の引き取りを拒否した
11月14日 毛沢東は、自分に反抗的な軍人を始末するために、朝鮮戦争に参戦した
11月15日 朝鮮戦争当時の指導者は、個人的な利益のために戦争をした
11月16日 アメリカの支配者は、朝鮮戦争に勝つことを望んでいなかった
11月19日 なぜ朝鮮人は反日なのか、専門家の意見を紹介する
11月21日 実務を行っていた「親日派」を弾圧するわけにはいかなかった
11月22日 軍人政権時代は、南朝鮮の独立は自らが勝ち取ったものではない、と分かっていた
11月23日 為政者を選挙で選んだからといって、先進国になれるわけではない
11月24日 朝鮮は、民主国家になる二つの条件の両方を欠いている
11月25日 朝鮮人は、朝鮮は世界の中心だ、と考えるようになった