1993年に金泳三が選挙で大統領に選ばれるまで、「南朝鮮の独立は日本の敗戦と米軍の施政という外的な要因によって偶然得られたものであり、自ら独立を勝ち取ったのではない」という当たり前の事実が常識になっていました。1993年は日本の敗戦から48年後であり、その時までは戦前を知っている者が現役世代だったのです。
そもそも、軍人出身の大統領だった朴正煕は、「日韓併合は朝鮮人が自ら選択したものだ」と石原慎太郎に向かって言っています。「われわれは自分たちで選択した。日本が侵略したんじゃない。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こっただろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはその後倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。日本を選んだということは、ベストとは言わないけど、セカンド・ベストとして私は評価している」
このように軍人政権は、現状を極めてまともに見ていました。だから当時の日本人も安心して南朝鮮と仲良くしようと考え、表面的な反日姿勢は大目に見たわけです。そして1965年に、日韓基本条約という、とんでもなく甘い条約を締結してやりました。この時の日本人は、幕末以来の大アジア主義の考えから目が覚めていなかったため、今の文在寅のような者が出てくるとは思っていなかったのです。
南朝鮮は、選挙に拠らずクーデターを起こした軍人が長い間大統領になっていて、選挙という「民主的な」制度ではありませんでした。それが、1993年から選挙で大統領を選ぶ「民主制」に移行したので、南朝鮮も近代国家・先進国になったと一般に評価されています。
本当に南朝鮮に民主制が定着しているのでしょうか。最近の三人の大統領(盧武鉉、李明博、朴槿恵)を見てみると、盧武鉉は在任中に収賄した疑惑を追及され自殺(他殺?)、李明博は在任中の収賄で裁判中、朴槿恵は在任中の職権乱用と強要で有罪になり服役中です。
つまり、みな大統領在任中に私腹を肥やしているのです。そしてまともな政治を行わないので支持率がどんどん低下していきました。朴槿恵などは、「国民情緒法」によって起こされた「ロウソク革命」によって、自ら大統領を辞任しました。憲法の上に「国民情緒法」なる法律とも言えない正体不明の情念があって、それによって国政が決められるのです。
以下はひと続きのシリーズです。
11月9日 敗戦後に、手のひらを返したように、朝鮮人は反日になった
11月12日 アメリカ軍は、朝鮮人が自立できないことを知っていた
11月13日 南朝鮮は、日本に逃げてきた済州島民の引き取りを拒否した
11月14日 毛沢東は、自分に反抗的な軍人を始末するために、朝鮮戦争に参戦した
11月15日 朝鮮戦争当時の指導者は、個人的な利益のために戦争をした
11月16日 アメリカの支配者は、朝鮮戦争に勝つことを望んでいなかった
11月19日 なぜ朝鮮人は反日なのか、専門家の意見を紹介する
11月21日 実務を行っていた「親日派」を弾圧するわけにはいかなかった
11月22日 軍人政権時代は、南朝鮮の独立は自らが勝ち取ったものではない、と分かっていた
11月23日 為政者を選挙で選んだからといって、先進国になれるわけではない
11月24日 朝鮮は、民主国家になる二つの条件の両方を欠いている
11月25日 朝鮮人は、朝鮮は世界の中心だ、と考えるようになった