キリスト教の信者にしか自由を認めない
要するにミルが言いたいのは、「イエス・キリストを信じていて心が正しい者だけが、自由を認められる。彼らは、キリスト教の教えによって隣人愛の気持ちに満ちている。だから彼らに自由を認めても、社会を良くすることしかしない」ということです。
要するにミルが言いたいのは、「イエス・キリストを信じていて心が正しい者だけが、自由を認められる。彼らは、キリスト教の教えによって隣人愛の気持ちに満ちている。だから彼らに自由を認めても、社会を良くすることしかしない」ということです。
自由主義は、成熟した判断力を持つ各人が幸福になろうとしてやっていることに政府は干渉しない、という考え方を採っています。各人のそれぞれが自分の...
自由主義は、弱者と強者を同じ土俵で競争させるなどという杓子定規の考え方ではなく、未熟な弱者に対しては教育して成長させようと考えます。それを経済に応用したのが自由主義経済です。官営事業はこの考え方に基づいています。
明治政府は、ひ弱な産業部門に対して強力に干渉し、それを育てることにしました。これが官営事業です。経済的自由主義を民間企業どうしの競争に任せ政府は干渉しないという考え方だとだけ理解していると、明治政府が経済的自由主義を政策として掲げたということが理解できなくなります。
日本人は自由を「思うがままに振る舞うこと」と理解していて、「遅れた者を教育してやろう」などという考えが含まれているとは思っていません。欧米人のFreedomと日本人の自由は、意味が違うのです。
自由主義は政府の役割を規定しています。個人の幸福に最大の関心を持っているのは本人だから、自分の状況を本人が一番よく理解しています。従って、他人を侵害するようなことがないような個人的領域には、政府は干渉してはなりません。その一方で、政府は他人に危害が及ぶのを防がなければなりません。国防や警察などが国家のやるべき領域です。
今の日本人の多くは、経済的自由主義を「自由放任」とか「神の見えざる手」などという言葉と結びつけて理解しています。「政府は何もしないのが良く、各人が自分の利益を追求すれば、神様の働きで社会は理想的に発展する」という説だと理解しています。
明治政府は、経済的自由主義に基づいて国家を運営していくと宣言しています。そして「自由は日本の随神の考え方と同じ考え方だ」と言っています。Freedomは日本の伝統なのです。
儒教は民が腹いっぱい食えることを目指していて、それ以上の富を求めることを目的としてはいませんでした。
明治4年から6年にかけて明治政府は、不平等条約改正交渉と欧米視察のために、使節団を派遣しました(岩倉使節団)。随員や留学生などを含めて総勢1...