西郷隆盛は、もっと戦をしなくてはならない、と言っていた
西郷隆盛は、明治維新に満足していませんでした。幕府に代表されるような惰弱な勢力と徹底的に戦い日本全土が焦土になって初めて、日本人の精神が叩き直される、と考えていたのです。
西郷隆盛は、明治維新に満足していませんでした。幕府に代表されるような惰弱な勢力と徹底的に戦い日本全土が焦土になって初めて、日本人の精神が叩き直される、と考えていたのです。
軍事力や老人医療の問題など、金銭で評価できないが人間の幸福と不可分のことがたくさんあります。そういうことの大部分を経済学は考察の対象から外しているのが経済学の限界だ、と私は感じています。
昨年11月に、財界合同訪中団(経団連、日本商工会議所、日中経済協会の共催で、250人の経営者が参加)が、支那を訪問し政府の要人たちと会談をし...
Freedomや誠は、外観を内心に合わせようとします。その考え方が社会を合理的に変革する原動力になり、近代社会を作りました。
イスラム教には、「正しい心を持った者が人を助けるためであれば、ルールを破っても構わない」という考え方がありません。いかなる場合でも社会の法律・慣習・宗教のルールを守らなければなりません。イスラム教では、Freedomの考え方が育たないのです。
もしもイスラム教の教義の中に、社会のルールが時代遅れになったから変えても良い、という考え方があるのであれば、イスラム教の教義に基づいて社会制度を変革できるはずです。
ユダヤ教とキリスト教の神はともに「ヤハウェ」と呼ばれ、同じです。イスラム教の神は「アラー」ですが、これはヤハウェをアラビア語に翻訳した言葉です。つまりユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同じ神様を信仰しています。
人口の圧倒的多数がキリスト教徒になったわけではなく、信者が増えてからの期間も短いので、「自由」の考え方が支那人や朝鮮人に定着することは、当面はないでしょう。だから先進国になるのは難しいと思います。
キリスト教から生まれた「自由」という考え方が先進国を作り上げましたが、そのためにはキリスト教の信仰が、少なくとも1000年間はその民族の主要...
世界の歴史を大きく捉えてみると、他人どうしが自然に助け合って社会を変革していくような文化が醸し出されるには、1000年ぐらいキリスト教または神道の信仰が継続していなければならない、という推定が成り立ちます。