支那や朝鮮は先進国になれるか

支那や朝鮮のキリスト教の状況を見てみましょう。朝鮮にキリスト教が入ったのは日本よりかなり遅く(日本は戦国時代の16世紀に宣教師がやってきた)、今から200年ぐらい前です。以後ほとんど信者が増えない状態が続きました。

朝鮮戦争で国内が戦場になり、多くの朝鮮人が悲惨な経験をしましたが、その時にブリキや木で作った十字架を首にぶら下げていると、アメリカ軍の兵士から食料や衣料を恵んでもらえるという経験をしました。

キリスト教徒になればとりあえず食えるということを知って、南朝鮮では、20世紀後半になってから急速にキリスト教の信者が増え、今では人口の40%が信者になっています。

日本に帰化して今は拓殖大学教授をしている呉善花先生は、朝鮮のキリスト教を「現世利益中心の信仰で、本当のキリスト教とは少し違う」と評価しています。またカトリックのフランシスコ教皇は、「韓国国民が、セウォル号の悲劇を、道徳的・霊的に生まれ変わるための機会としてとらえることを望む」と発言しています。おそらく「朝鮮で行われているのは、本当にキリスト教ではない」という意味なのでしょう。

支那にキリスト教が伝わったのは古く、7世紀の唐の時代にネストリウス派のキリスト教が入っていました。その後キリスト教の勢力はずっと微々たるものでした。

20世紀に入った頃からプロテスタントの宣教師が8000人も支那にやってきました。しかし支那人は無料の病院や学校、食料の支給を期待しただけで、本当の信者はほとんど獲得できませんでしたが、宣教師はこの実態を本部に知らせようとはしませんでした。詳しくは「宣教師のせいで、アメリカ人は支那人を誤解した」とその続きをを読んでください。

最近になり支那で急激にキリスト教が増え、1億3000万人の信者がいるという話もあります。しかしそれが本当のキリスト教なのかどうかはっきりしません。あるいは80年ぐらい前と同じように、欧米の信者の援助をあてにしているものかもしれません。

いずれにしても、人口の圧倒的多数がキリスト教徒になったわけではなく、信者が増えてからの期間も短いので、「自由」の考え方が支那人や朝鮮人に定着することは、当面はないでしょう。だから先進国になるのは難しいと思います。

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