イスラム教は、自分から変われない

「イスラム教はキリスト教の兄弟宗教であるのに、なぜイスラム教国は近代化しないのだ」という疑問を感じても不思議ではありません。

イスラム教国家の中でも近代化に熱心なのがトルコです。トルコは第一次世界大戦に敗れ、国土の多くを失い危機的な状況になりました。そのときにケマル・アタチュルク(1881年~1938年)という指導者が現れ、国家体制を大変革しました。

イスラム社会では宗教的なルールと社会の法律が一体になっています。例えば、女性はチャドルというベールを外出時に着て顔を隠さなければならない、とイスラム教は定めています。この宗教的ルールが同時に社会的な法律にもなっているので、これに違反した女性は自動的に犯罪者になります。

イスラム社会の指導者の多くは、ホメイニ師のようなイスラム法学者です。イスラム法学者は、外見上はキリスト教の神父のように見えますが、イスラム教には聖職者はいません。彼らは、コーランなどの聖典を一種の六法全書のように扱い、現実社会でやってよいことと悪いことを判断しています。

例えば、イスラム教には「ハラール」という食物ルールがあり、豚肉などを食べることは禁止されています。イスラム教徒がそれまで見たこともないような料理を食べても良いのか判断に困る場合があります。その時に、聖典の記述に基づいて判断するのがイスラム法学者です。

ケマルが行った改革は、社会制度を西欧化することでした。トルコの社会制度はイスラム教の教えから来ているので、ケマルのやった事はイスラム教の部分的否定でした。彼のやった事を一般に「政教分離」と呼んでいますが、そもそも「政教分離」はイスラム教に反します。

もしもイスラム教の教義の中に、社会のルールが時代遅れになったから変えても良い、という考え方があるのであれば、ケマル・アタチュルクは政教分離をする必要はなく、イスラム教の教義に基づいて社会制度を変革できたはずです。

イスラム教には、自らが作り出したルールを変更するシステムが存在しないとしか考えられません。