沖縄は日本の一部であり、沖縄県人はみんな日本人です。明治維新の時、日本人はみんなそう思っていました。日本が戦争に負けて沖縄がアメリカに占領されている間ずっと、沖縄県民も本土の日本人も、沖縄県人は日本人だと思い、祖国復帰運動を行ってきました。ところが最近になって、「沖縄は日本ではない」「沖縄の住民は日本人ではなく、先住民族だ」という主張が出てきました。
こうなってしまった原因として、二つが考えられます。一つは、日本が軍備を持つことを憲法が禁止しているから、日本は安全保障をアメリカに頼るしかないということです。アメリカが沖縄の基地を必要としている以上、日本はそれを認めざるを得ません。その結果、主権国家に外国の軍隊が駐留しているという、奇怪な事態が生じています。
このような異常な事態を維持しているために、様々な無理が生じています。特に沖縄に大きな負担をかけています。そのために「沖縄は日本ではない」という主張に耳を傾ける日本人が出てきたのです。そういう時に、鳩山元首相が、素っ頓狂なことをしたために、沖縄県民の堪忍袋が切れてしまいました。日本国憲法の問題については、次の機会に論じたいと思います。
もう一つの原因は、日本のグローバル化です。日本のグローバル主義の発想の原点は大乗仏教ですから、日本の大乗仏教化の影響だということもできます。大乗仏教は、すべての人間は仏様の分身だと考えます。仏様だからみんな全く同じで違いはないと考えます。
この発想から幕末に大アジア主義が生まれました。日本と中国・朝鮮は同じ文化でお互いに理解できる。だから同盟して欧米に対抗しようというものです。大東亜戦争当時の「大東亜共栄圏」も大アジア主義から生まれました。敗戦後も大アジア主義は生き残っています。
また大乗仏教は、国家は悪いことをする、とも考えます。大乗仏教の真理に目覚めた者は出家して社会を離脱しているはずで、実社会に残っている者は欲望を抑えきれず、ものを巡って互いに争っている者ばかりだ、と考えます。このような修行の足りない者が作っている国家は、悪いことばかりする、と考えるのです。自虐は、このような発想から生まれました。
中国は、日本人の大アジア主義・「国家は悪いことをする」という自虐史観に乗じて、「沖縄は日本ではない」「沖縄の住民は先住民族だ」という洗脳工作を仕掛けています。そして、その効果が少しずつ現れています。
日本と西欧が先進国になったのは、日本には誠、西欧にはFreedomというよく似た考え方があったからです。Freedomはキリスト教の信仰から生まれたものですから日本人には難しいのに対して、誠は神道から生まれたものだから日本人は理解しやすいです。
誠もFreedomも国民全体を仲間と考え、互いに助け合おうという考え方です。そして国民を外敵から守るというのが、助け合いの中でも一番重要です。Freedomは、軍隊に勤務することを重視しています。幕末・維新の日本人は、誠の考え方に基づいて、欧米列強から日本を守ろうとして、富国強兵に努めました。
私は、誠の考え方から、日本人が自ら自国の一部である沖縄に駐屯し、そこを守るのが当然だと思っています。誠主義には、「誠及びFreedomのどちらの考え方ももたない国々とは、必要最小限の関係しか持たない」というのも含まれています。
中国には誠もFreedomもないので、中国と友好的な関係を維持できるという幻想から、目覚めなければなりません。
以下はひと続きのシリーズです。