中国が沖縄の祖国復帰運動を仕掛けた

1945年4月~6月 沖縄戦 アメリカが沖縄を占領
1952年4月 サンフランシスコ講和条約発効 → 日本が独立
沖縄は日本領だと明記された。ただしアメリカが信託統治すると規定
1972年5月 沖縄返還協定発効

1952年のサンフランシスコ講和条約により、沖縄は日本領だということが確認されました。そしてその20年後に実際に日本に返還されました。では、日本の首相が戦後初めて沖縄を訪問したのは、いつのことだったでしょう。佐藤首相が1965年8月に沖縄を訪れたのが初めてなのです。実に沖縄が占領されてから20年後、サンフランシスコ講和条約で、沖縄が日本領だとはっきりしてから13年後です。

敗戦後、日本の政府はアメリカに忖度して沖縄の返還をアメリカに言わず、首相が沖縄に訪問することも控えていました。その空白を狙って中国が沖縄に「祖国復帰運動」の工作を仕掛けました。沖縄県民は祖国復帰を望んでいたので、この運動は大いに盛り上がりました。この運動の中心だった「沖縄県祖国復帰協議会」は、中国の息のかかった共産党員や社会主義者が支配していました。

毛沢東など中国の指導者は、沖縄が日本に返還されれば、沖縄にある米軍基地も撤廃されるだろうと考えました。だから米軍を沖縄から追い出すために、沖縄の祖国復帰運動にテコ入れしたのです。

ところが、アメリカ軍基地を残したまま沖縄が日本に返還されることになったので、中国は方針転換をしました。沖縄を日本から独立させた上で、中国の属国化し、アメリカ軍を追い出すということです。

いま中国が日本に仕掛けている工作は、この路線です。日本に対して、「沖縄は歴史的に日本ではない」という歴史戦を仕掛けています。また、本土の親中勢力を利用して、アメリカ軍基地への反対運動をさせています。普天間飛行場を辺野古の海岸に移転させる計画に反対している活動家に、本土のオールド左翼が多いのは、こういう理由です。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする