薩摩藩が3000の兵で沖縄に乗り込んだことを理由にして、「日本が沖縄を侵略した」ということを言う人がいますが、これは「沖縄は日本ではない」ということを前提とした誤った考えです。戦国時代の日本では、大きな大名が小さな大名を武力で脅して臣従させるのは、当たり前でした。
徳川家康が幼いころ、弱小の家康は今川家の傘下に入って領地を保ちましたが、これは家康が今川家に服従し、その重臣になったということです。これと同じで、薩摩の島津家73万石が、兵力で琉球王家(12万石)を脅して重臣にした、ということです。
沖縄は薩摩藩の領土ですから、薩摩藩は役人を沖縄に派遣し、沖縄全土の検地を行い、地図を作成し、西欧の船が沖縄に近づくのを警備していました。薩摩藩は沖縄を実効支配していたのです。これに対し、清国は役人を派遣せず何も支配をしていませんでした。
明治政府は明治4年(1871年)から廃藩置県を行い、沖縄に対しては明治12年(1879年)に琉球王国を廃して、沖縄県を設置しました。清国は属国を奪ったとして抗議してきましたが、外務卿の寺島正則は下記のように反論しています。
- 清国が琉球の主権主張の根拠とする朝貢冊封は虚文空名に属するものである
- 日本が琉球を領有する根拠は、将軍足利義政がこれを島津時国に与えた時より確定している
- 冊封体制は、自らを世界の王と称し、朝貢冊封を振り回して主権を主張するのは支那古来の慣法である。支那は日本だけでなくイタリアや英国をも冊封したと主張している。このようなことをもって日本やイタリア、英国が中国皇帝に臣服するとすれば、その虚喝も甚だしく、今清国が沖縄に関与しようというのもこのような虚妄にすぎない
清国は、8000年前から今まで沖縄はずっと日本の一部だった事実を無視し、明への朝貢が開始された1372年から1879年までの500年間の朝貢だけを切りとって、沖縄の領有権を主張しているのです。
以下はひと続きのシリーズです。