現地住民の多くは、基地移転に反対ではない

大東亜戦争では、沖縄で地上戦が行われ、日本の軍人の8万人が戦死したほか、非戦闘員の住民12万人も亡くなりました。当時の沖縄の人口は60万人ぐらいだったので、その被害の大きさは大変なものです。

日本の本土は、空襲は受けましたが、戦闘は行われませんでした。また本土の占領が解除されたのは昭和27年ですが、沖縄では昭和47年まで占領が継続しました。さらに沖縄に米軍基地が多いです。このような事情から、沖縄の住民に不公平感が生まれ、「沖縄は日本ではない」という世論まで生まれています。

また普天間基地の移設問題も沖縄問題を複雑にしています。沖縄南部の宜野湾市にあるアメリカ海兵隊が使用している普天間飛行場を、沖縄北部の名護市の辺野古地区の海岸に移転させる計画は、20年前にはほぼ決まっていました。普天間飛行場は市街地のど真ん中にあり、極めて危険です。だから海岸を埋め立てた場所に移転させるのは、極めて合理的です。

ところが、民主党の鳩山元首相は、普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」と発言して県民に期待を抱かせました。その後に「学べば学ぶほど、アメリカの海兵隊の抑止力の重要性が分かった」と言って、前言を撤回しました。

沖縄からアメリカ軍が撤退するのは良いのですが、その後の日本の防衛を考えれば、憲法を改正して、軍備を大幅に増強する必要があります。しかしそんなことを何も考えず、人気取りのためだけにした発言でした。そのために、普天間基地の移転問題がぐちゃぐちゃになってしまいました。

翁長前沖縄県知事は、もともと沖縄自民党支部の幹部でしたが、日本政府の意向に逆らって、普天間基地の辺野古への移設絶対反対、を主張するようになったのは、鳩山元首相の軽率な発言に堪忍袋の緒が切れたからです。

鳩山元首相の発言以後に行われた二回の沖縄県知事選挙では、飛行場の移設に反対する候補者が当選して今に至っています。アメリカ海兵隊の飛行機は今でも市街地のど真ん中にある普天間基地から離発着しています。飛行場移設に反対するということは、結果的にこの危険な状態をずっと続けようということです。

その一方で、2018年に行われた宜野湾市長選挙と名護市長選挙では、どちらも飛行場の移転に賛成する候補者が当選しました。実際に飛行場問題を抱える現地の住民は、危険な状態を解消しようとしているのに対し、県知事は危険な状態を維持しようとしているのです。現地の生の声は飛行場の移転に賛成なのに対し、県レベルでは何かの特殊な要因によって生の声がかき消されている、ということになります。

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