神様の息には、命が含まれている
古代のユダヤ人は、息には特別の力が含まれていると考えました。神様の息はさらに強力で、これが付着したら人間の心は生き生きとし、正しいことしかしなくなると考えたのです。この考え方をキリスト教も受け継いでいます。
古代のユダヤ人は、息には特別の力が含まれていると考えました。神様の息はさらに強力で、これが付着したら人間の心は生き生きとし、正しいことしかしなくなると考えたのです。この考え方をキリスト教も受け継いでいます。
「神仏習合」は、同じ敷地にお寺と神社が同居しているとか、僧侶が神社の神主を兼ねているなどという現象や、両者の教義をいっしょくたにすることを指します。お寺の門前に処世訓を書いた「今日の言葉」などを貼るのは、この神仏習合の名残です。
昨日、「経団連の幹部は、自由主義の内容を仏教の教義で捉えています。だから日本人の利益を考えず、勝手気ままに自分たちの利益を追求することが許さ...
仏教の自由とは、出家した僧侶が勝手気ままに振る舞うように社会のルールに従う必要がない、という意味です。
大乗仏教は、世界はすべて仏様だ、と主張しています。仏様が、ある時は山川や月など自然物のように見え、あるときは動植物、あるときは人間に見えると考えます。人間も、仏様が個々の人間に見えるというだけのことなので、見かけや能力・性格など個性の違いも見かけだけだ、と考えます。
日本が遣唐使を廃止した直後に支那の仏教は急激に衰えました。しかしその時には日本に生の情報が入らなかったため、日本人はその後も支那で仏教が栄えている、と誤解しっぱなしになっているのです。
経団連の会長はみんなじい様なのですが、良く考えてみれば戦後の生まれです。彼らは小中学生の時に自由についてすでにおかしなことを教わって、そのままの状態で大きくなってしまいました。普通の日本人と同じように自由を誤解しっぱなしになっています。
ルターやミルが主張した本来のFreedomは、劣ったものを育てて優れたものにしなければならない、という考え方でした。自由競争は、優れたものにだけ適用し、劣ったものは保護し教育すべきだと考えたのです。
官営事業は、税金を使った独占事業であり、私たちがいま理解している自由競争とは正反対です。しかし、この政策が自由主義に反するとすれば、色々と辻褄があいません。
バーリンは欧米のグローバリストの一人であり、日本で言えば「進歩的文化人」にあたるでしょう。彼が活躍していた20世紀後半は、グローバリズムの時代でした。だから彼の自由論は、今の学界の定説になっています。