文在寅の国内政治や外交のやり方を見ていると、日本人とは全く違った行動の仕方をしていることに気付きます。また、アメリカ人の行動の仕方とも大きく違います。日本人は「相手の立場に立って」自分の行動をどうすべきか考えるし、アメリカ人は双方がウィン・ウィンの結果になるにはどうすれば良いかを考えます。
日本人もアメリカ人も、まずは意見交換をして、事実関係に関するお互いの認識の違いをなくすようにします。このような地ならしの作業をしたうえで交渉を行い、自分の方が正しいと主張して、自分の言い分を通そうと努力します。ただそのやり方が、日本人はできるだけ穏やかに進めようとするのに対して、アメリカ人は喧嘩腰で望むという違いがあるだけです。
日本人もアメリカ人も事実に基づいて自分の正しさを主張しますが、それは自分が目に見えない存在によって監視されていると、考えているからです。つまり、全てを知っている神様の意に反することをしてはならないという道徳観を持っているのです。
ところが文在寅は、決してごまかされない神様の存在を気にしている様子がありません。だから、ウソをつき、そのウソを相手だけでなく大勢の第三者にまで信じ込ませて、自分に有利に交渉を行おうとします。これが告げ口外交です。
このような態度は文在寅だけでなく、多かれ少なかれ朝鮮人に共通しています。朴槿恵も告げ口外交の名手でした。朝鮮人には、決してごまかされず、正義を行う神を信じるという習慣がないのです。
今の南朝鮮人の半数近くはキリスト教徒だということになっていますが、実際は朝鮮伝統の呪術宗教がキリスト教の衣をまとっているだけです。キリスト教や神道の教えがその民族の心の底まで定着するには1000年ほどの長い年月を要しますが、南朝鮮のキリスト教は数十年の歴史しかないのです。
神様の教えに従うという信仰心から生まれたのが、欧米キリスト教社会のFreedomの考え方であり、日本の神道の誠の考え方です。そしてこのFreedomや誠の考え方によって、近代国家が生まれました。朝鮮にはFreedomや誠の考え方がないので、いつまでも近代国家になれないのです。