明石元二郎は、ロシアに「敗戦革命」を仕掛けた

「文在寅は朝鮮労働党(北朝鮮の共産党)の秘密党員だ」という説まで出ています。つまり彼は、北朝鮮の工作員だというのです。この説には確たる証拠はありませんが、多くの人が「そうかもしれない」と思い始めています。興味がある人は、月刊Hanadaの10月号に篠原常一郎が寄稿しているので、読んでください。

文在寅が具体的にどのようなことをして南朝鮮の国益を害しているのか、という説明はあとからしますが、その前に「敗戦革命」というのはどういうことなのか、を説明します。

1904年に日露戦争が始まりましたが、当時のロシアは日本とは比較にならないほど国力が大きかったのです。日本はこのギャップを克服するために、様々な戦略を考えました。そのうちの一つに、ロシアで革命騒ぎを起こしてロシアの社会を混乱させ戦争を遂行できないようにする、という戦略がありました。

当時のロシアには憲法がなく、ツァーの独裁政治が続いていました。そのために議会制民主主義を求めるブルジョワ政党から共産主義革命を求める過激派まで、さまざまな政党が革命をめざしていました。

これらの革命諸政党は考え方が違うので互いに仲が悪く、まとまっていませんでした。そんな時に明石元二郎陸軍大佐がロシアの駐在武官になり、「諸君の考えはそれぞれに異なるが、専制政治を行っているロシア帝国を倒すことでは一致しているだろう」と彼らを説得し、共闘体制を作り上げました。もちろんその中には共産党のレーニンも入っていました。

そして彼らに現在価格で数百億円に相当する資金を提供したために、ロシアの各地で革命暴動が頻発しました。その結果、ロシアは日本と戦争をしているどころではなくなり、日本との講和に応じました。ロシア国内の諸革命政党は、日本が提供した資金を使って「敗戦革命」を実施したのです。

日本が提供した資金を使って「敗戦革命」を成功させたロシア共産党は、「コミンテルン」という資本主義諸国で共産主義革命を起こさせるための組織を作り、そこに虐殺したロシア貴族から取り上げた莫大な資金を投入しました。

コミンテルンは、その資金を使ってアメリカ・ドイツ・日本などに「敗戦革命」を仕掛けました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする