派閥争いに敗れた朝鮮人は、残酷なやり方で処刑される

派閥争いに敗れた朝鮮人は、残酷なやり方で処刑される

李氏朝鮮の両班の派閥争いで勝負がつくと、勝った方の派閥は負けた側を殲滅します。官位を奪って隠居させるなどという日本式の生ぬるい処罰ではなく、九族を皆殺しにする処刑法までありました。本人を殺すだけでなく、その高祖父(祖父の祖父)から玄孫(孫の孫)まで殺すのが「九族皆殺し」です。

朝鮮のお上は、ただ税金をとるだけ

朝鮮のお上は、ただ税金をとるだけ

李氏朝鮮の創始者の李成桂と彼の家来は、満州近くの北朝鮮北部出身の女真人でした。彼らは高麗の支配層で従わない者を皆殺しして、朝鮮全体をいわば占領したような形になりました。そして都から役人を派遣して地方の土着の豪族を抑えつけました。

朝鮮人は、現状分析をせず、抽象的な思考をして結論を出す

朝鮮人は、現状分析をせず、抽象的な思考をして結論を出す

朝鮮出兵の2年前に、李氏朝鮮から正使の黄允吉と副使の金誠一という二人の使者が日本にやってきて秀吉に会いました。この時に二人は、秀吉の顔をじっと観察して彼の心中を推察しました。正使は「秀吉は危ないから気を付けろ」と報告し、副使は「彼は小物だから放っておいても大丈夫だ」と言いました。

朝鮮の軍隊は、驚くほど弱かった

朝鮮の軍隊は、驚くほど弱かった

李氏朝鮮は、1万8千人が船で対馬に来寇しました。倭寇を退治するという名目です。足利幕府は迎撃部隊を派遣しようとしましたが、それが到着するまでの間に、対馬国守護の宋貞盛が600人の手勢だけで打ち破りました。朝鮮側はおよそ2500人が死にました。