大院君と閔妃の暗闘が原因で、日清戦争が起きた
大院君の次男が国王(高宗)になり、その正妻である閔妃が生んだ息子が正式の世継ぎになっていました。そこでこの世継ぎを廃嫡して、自分の長男の長男である永宣君を世継ぎにすることで閔妃をやっつけることを、大院君は思いつきました。
大院君の次男が国王(高宗)になり、その正妻である閔妃が生んだ息子が正式の世継ぎになっていました。そこでこの世継ぎを廃嫡して、自分の長男の長男である永宣君を世継ぎにすることで閔妃をやっつけることを、大院君は思いつきました。
清はフランスと戦争をして破れ、ベトナムの宋主権を失いました(清仏戦争 1884年~1885年)。領土の周辺地域がどんどん欧米列強に蚕食されたので、清は朝鮮だけは自分のものとして確保しようと考え、朝鮮に対して積極的になってきました。
閔妃を息子の嫁に選んだのは大院君でした。閔妃も最初は下手に出て舅によく仕えていました。ところが夫の高宗が身分の低い宮女に産ませた子供を、大院君が高宗の跡継ぎにしようとしたことから、閔妃は舅を憎悪するようになりました。
日朝修好条規は、朝鮮が独立した主権国家であると規定しています。日本はこの条項によって朝鮮が清の属国ではないと主張したのですが、朝鮮はその意味が良く分からなかったようで、反対していません。
日本は朝鮮を援助して自立させ、清やロシアの影響力を朝鮮から取り除こうとしました。朝鮮自体を支配しようとは考えておらず、独立した朝鮮と日本が軍事同盟を結べたら良い、ということを考えていました。
清は、欧米列強が勝手に決めた「日本は帝国である」という国際的約束事に納得しませんでしたが、受け入れました。支那は昔から、「支那のみが文明国で...
これまで、古代から19世紀半ば(日本の明治維新が起きた時期)までの朝鮮の本当の歴史を見てきました。我々が学校で教わったりマスコミが流したりし...
「貢女」は、朝鮮が支那のご機嫌を取り結ぶための仕組みとして始まりました。それが朝鮮内部で出世するための手段として朝鮮人両班に利用されるようになりました。支那から見たら、「貢女」は朝鮮の内部情報を収集するスパイのような存在なのです。
歴代の朝鮮の王朝は、高価な物の代りに少年や少女を奉っていたのです。少年は宦官用でした。男の生殖器を切除するのは非常に危険なので、誰もなりたがりません。少女は「性奴隷」用でした。 美少女を贈る(貢女)というのは性奴隷にするためです。
高麗時代には馬や牛が曳く荷車があったのですが、李氏朝鮮時代には車輪を作る技術が失われ、荷車がなくなってしまいました。