大東亜戦争(第二次世界大戦)前、欧米列強と日本は支那の各地に租界を設定し、軍隊を駐留させ、自国の役人に租界の行政をさせて、そこに住む自国人を守っていました。
租界の外は軍閥が支配していて、勝手なことをしていました。賄賂を払わなければ役所は仕事をせず、裁判の判決も金次第で、治安も極端に悪かったです。軍閥の軍隊はたちが悪く、一般人の財産を略奪し女性を強姦するのは、朝飯前でした。
このような社会状況だったので、一般の支那人も欧米列強や日本が設定していた租界に住みたがりました。アメリカ人のパール・バック(彼女は宣教師の娘で、支那に長期間暮らしていました)の書いた小説『大地』は、当時の支那社会の実態を描写しています。
大東亜戦争前の支那社会と今の支那社会は、ほとんど違いがありません。大きな違いは、昔は欧米列強や日本の租界があったが、今はないということです。戦前の欧米列強や日本の企業は、自国の租界内に工場を作っていました。
租界内では先進国のまともな法律が施行されていたので、不当な要求をする支那人労働者のストライキは、排除されていました。ところが今の支那には租界がないので、外国企業は支那の腐敗した政府が支配している場所で、裸のまま操業しています。
最近の支那は賃金が上昇し、また支那政府が外国企業から技術を奪おうとして不当な圧力を加えているので、多くの外国企業が支那から撤退しようとしています。支那政府はそうはさせじと、さまざまな妨害をしています。
撤退しようとした途端に、今まで軽減していた税金をまとめて払えと要求したり、解雇される支那人従業員にとんでもない金額の退職金を払わないと撤退を認めないなどと、難癖をつけています。
このような状況なので、新たに支那に工場を作ろうなどという外国企業はどんどん減っています。昔のような租界がないので、支那は外国企業から見放されてかえって経済的な苦境に立っています。
このような支那の現状を日本の大手マスコミは、ほとんど報じようとしません。記者たちは、ハニートラップなどにより弱みを支那に握られているのでしょうか。