幕末に欧米列強が日本にやってきて、軍事力で日本を脅して不平等条約を締結しました。この不平等の内容には二種類あり、その一つは日本が独自に関税率を設定できないようにしたという経済的な不平等でした。
もう一つが、治外法権の設定でした。日本の港の一角を列強が自国の租界にして、その内部に自国民を住まわせました。そしてその租界を自国の軍隊で守り、自国の法律を適用して治安を維持しました。幕末・明治維新当時は、西洋人と見たら日本刀で斬りつける過激な攘夷論者が数多くいたので、租界を自国の軍隊が守るというのも、一定の合理性がありました。
不平等条約は国家主権の侵害であって実害が大きいということの他に、日本人の名誉を傷つけるものだったので、日本政府は必死になってその改正に努力しました。明治時代に日本がやったことは全て、不平等条約撤廃のためだったと言っても過言ではないほどです。
治外法権の撤廃のために、日本は文明開化の運動を推進し、日本人が欧米人を敵視しないようにしました。また欧米の法体系を導入し、裁判所を整備して、欧米人も安心して日本の法律に従える環境を作りました。その結果、欧米列強は日本の警察や法律に自国民の安全を委ねても問題は無いと判断し、治外法権を撤廃しました。自国から遠く離れた日本に軍隊を駐留させるには巨額の費用がかかるので、欧米列強にとっても治外法権の撤廃は望ましいことだったのです。
欧米列強は、日本との間の不平等条約を改正し治外法権を撤廃しましたが、支那に対しては治外法権を撤廃しようとはしませんでした。それは支那の政府が腐敗していて、公正な裁判が期待できず、法律も納得できるものではなかったからです。もともと支那社会の治安が悪いのに加え、支那政府が外国人を敵視して、外国人に対する暴動を起こすように一般の支那人を扇動していました。
このように、外国に租界を設定してそこに軍隊を駐屯させることがすべて悪い、とは言えません。支那のように治安が非常に悪い国では、支那人さえも治安が良くまともな行政サービスも受けられる租界に住みたがりました。外国の軍隊に入ってこられた国のプライドは傷つきますが、租界は自国民と現地人にとって良いこともあったのです。