9条や前文以外にも問題が多い

日本国憲法の前文には、次のようなことも書かれています。「日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」

日本以外の諸国は、全て平和を愛する優しい国だから、日本の安全を委ねようということです。このような歯の浮くような文言が憲法の最初に出てきます。この文言と日米安全保障条約は矛盾します。アメリカ以外の諸国の国民の公正と信義を信頼していないからです。

外務省の弱腰を非難する人が多いですが、考えてみれば、外務省はこの前文の文言通りの外交を行っているのです。

日本国憲法が、自由と平等を国民の権利だと規定していることも大きな問題です。欧米のキリスト教文化から生まれたFreedom、Equalityの権利の自由・平等を訳したのですが、これらの言葉は大乗仏教の用語です。その結果、日本人はもともとの意味を誤解し、「自由とは勝手気ままに振舞う権利だ」「一切の差別を認めない」という発想が蔓延しています。この件については、このブログですでに何回も書いています。

さらに問題なのは、自由・平等という言葉が実社会を規定する権利として憲法に規定されたために、日本人が実社会を大乗仏教の視点で見るようになったことです。大乗仏教は、すべての所有物を捨てて実社会から離脱し、山の中に籠って修行をするのが正しい、と教えています。

日本人はこの影響を受けて、実社会を争いが多く欲望にまみれた人間が満ちている穢れた場所だと思うようになっています。どんな理由があれ、争いはいけないという考え方が広まっています。日本国憲法の第9条が根強い支持を受けているのは、これも理由の一つです。日本が経済的に長い間低迷しているのも、「ものに執着してはならない」という清貧の思想が広まっているからです。

以上説明してきたように、日本国憲法が存在しているという幻想によって、日本は大きな災いを受けています。日本国憲法など存在していない、という事実を普及させるべきなのです。日本にとって大事な価値観は、誠です。私は誠主義を提唱しています。

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