江戸時代にも憲法はあった

中国が海警法という国際法を無視した法律を制定して、尖閣諸島や沖縄を奪おうとしています。それに対して日本は、憲法第9条の制約があって、その対応策に苦慮しています。例えば、中国の軍艦が日本の領海に侵入して退去しなくても、日本側から攻撃をしてはいけないのです。

そもそも自衛隊員が戦って敵兵を殺したら、殺人罪に問われるのです。自衛官は軍人ではなく普通の公務員なので、「軍人は敵兵を殺すのが正しい」という世界的な常識が通用しないのです。

憲法第9条をこのままにしておいては、日本は尖閣諸島や沖縄を守ることが出来ません。この憲法には、第9条だけでなく、誤解を招く用語を使っているとか、憲法の前提となる世界観が間違っているという様々な問題があります。日本国憲法を今のままで放置しておけば、日本の将来は非常に暗いと判断せざるを得ません。

日本国憲法を真正面から取り上げると、非常に理屈っぽくなるので面倒くさいと思う方も多いと思います。私自身もそうなのですが、やはり憲法問題を無視して通り抜けるわけにもいかず、今回はこの話をしようと思います。

最初に江戸時代の鎖国の話をします。外国との接触を極端に制限する鎖国政策は、キリシタン禁制や参勤交代と並んで、江戸幕府の最も重要な法律で、江戸時代の憲法でした。

「江戸時代に日本に憲法などなかったではないか」という反論が出てくると思います。しかし憲法は、必ずしも成文化されたものではありません。イギリスには成文憲法はありませんが、「イギリス憲法」は存在します。またいつの時代でも、どこでも、その国家の最も重要なルールである憲法は存在する、というのが憲法学の常識です。

この議論は、あとからもっと詳しく説明しますが、「その時代に、多くの人が最も重要だと信じていた法律は、その時代の憲法だ」ということを前提として話を先に進めます。鎖国は、江戸時代の憲法だったのです。

鎖国は、江戸時代初期に幕府の何回かにわたる法律の施行によって行われました。その後、鎖国は「祖法」として、絶対に改正できない法律とされていました。改正できない法律だという点では、日本国憲法の第9条とよく似ています。日本国憲法は第96条で改正条件が定められていますが、その条件が非常に厳しく、実質的には改正できないようになっているからです。

鎖国は厳密に施行されていましたが、ペリーが黒船を率いてやってきてから以降は、急速に無視されるようになりました。ペリーがやってきたのは1853年ですが、その翌年に幕府は日米和親条約を締結し、あっさり鎖国条項を破っています。薩摩藩も鎖国条項を無視して、15人の若者をイギリスに留学させ、貿易を始めました。

つまり、多くの日本人が、鎖国という江戸時代の憲法の条項が不合理で、日本のためにならないということを悟ったのです。そうしたら、それを合法的に改正する規定があろうがなかろうが、あっさりと無視してしまったのです。憲法など、国民の多くが不要と考えたら、消えてしまうのです。

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