国民を幸せするのは、自国優先主義

自国優先主義でないと、Freedomや誠の考え方は出てきません。国民全体が仲間であり互いに助け合おうというのが自国優先主義です。これにさらに「正しいことを行うためであれば、法律や社会的ルールを破っても良い」という考え方が加わったのが、Freedomや誠だからです。

キリスト教や神道は、何が正しいか、ということを大雑把にしか決めていません。キリスト教の神が人間に授けた「十戒」は、人を殺してはならないなど10項目を禁止しているだけです。このように大雑把だと、人間が現実の状況を見て「何が正しいか」を具体的に判断しなければなりません。そして、場合によっては、「十戒」に違反しなければならないことも出てきます。

もちろん、「十戒」に反しても許されるのは正しいことを行う場合に限定されており、最初から悪いことをしようと考えて行うのであれば、それは単なるルール違反であり、犯罪です。

このFreedomや誠に含まれている「正しいことを行うためであれば、法律や社会的ルールを破っても良い」という発想が、社会の仕組みを改革してきました。これがなくては豊かな近代国家を作ることができないし、経済活動も発展させることができません。従って、Freedomや誠の前提になる自国優先主義の方が、グローバル主義よりも人間を幸福にします。

グローバル主義の方は人類全体を仲間にすることが出来るから、こちらの方が自国優先主義よりも効率が良いではないか、という反論があるかもしれません。しかしこれは、絵空事です。言葉が違い文化も違う異民族どうしが互いに相手を理解することはできません。従って、世界中の人間が仲間意識を持って助け合うことなど、不可能です。

グローバル主義も社会主義もユダヤ人が考え出したもので、二つは兄弟です。だからグローバル主義者はどうしても社会主義者になりがちです。社会主義は、賢明な者が「何が正しいか」を決めるから、国民はおとなしくその指示に従え、という独裁政治を志向します。

賢明な者が「何が正しいか」を決めるので、どうしても中央政府が経済計画を行うという統制経済になっていきます。しかし統制経済がうまくいかないことは、ソ連の崩壊で実証済みです。結局、グローバル主義は、国民を不幸にします。

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