支那中央政府は、一国二制度の約束を破ろうとしている

支那とイギリスは、1997年7月1日に香港を支那に返した時から50年間は、香港の体制を民主主義のまま変えないということに合意しました(一国二制度)。ところがそれから17年後の2014年に支那の中央政府は、香港の行政長官の選挙を共産党に有利なように変更しようとしました。

この制度改革は、「50年間香港の制度を変えない」というイギリスとの間で結んだ条約を破る行為です。この制度変更に対して香港で大規模なデモ(参加人数は政府発表で15万人)が起きました。

結局、香港のデモ派は敗け、行政長官選出方法は、中央政府に有利なように変更されました。なお、この時に香港の警察がデモ隊に催涙ガスを撃ち込んだのに対し、デモ隊は雨傘をさして避けたので、「雨傘運動」と呼ばれるようになりました。

今年になって、香港で「逃亡犯条例改正に反対するデモ」が香港で起きました。外国人が国内で犯罪を行った後に外国に逃亡した場合、両国の間で「犯人引渡条約」がなければ犯人の引き渡しを要求できません。香港が植民地だった時は、香港と支那の間では「犯人引渡条約」がなかったので、それを引きついだ今でも状況は変わりません。

支那本土で殺人を犯した支那人が香港に逃げ込めば、現状では支那中央政府は犯人の引き渡しを香港に要求できません。そこで香港と支那本土で相互に犯人の引き渡しができるようにしようというのが、「逃亡犯条例の改正」です。

これが殺人のような破廉恥犯に適用されるのであれば問題はないのですが、これが支那本土の政府によって悪用される恐れがあります。支那政府の要注意人物が香港に住んでいる場合、その者が支那本土で犯罪を行ったということにして香港政府に引き渡しを要求してくれば、香港はそれを拒めなくなるのです。

そこで香港の民主派は、この条例改正によって香港の民主主義が弾圧されると考え、「逃亡犯条例の改正」に反対運動を始めました。6月16日には大規模なデモ(主催者発表200万人、警察発表33万人)がありました。香港政府の林鄭月娥長官は、この改正案の審議を延期することにしましたが、廃案にするとは言っていません。

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