最近、支那政府がウイグル人を弾圧している、というニュースが急に増えてきました。イスラム教の信仰やウイグル語を話すことを禁じ、それに従わない者を収容所に入れて、思想改造を行っています。
支那政府がウイグル人を弾圧しているのは昔からなのですが、昨年10月にアメリカのペンス副大統領がウイグルの実態を暴露する演説をしたことで、アメリカが騒ぎ出しました。そこで日本のマスコミも追随し始めたわけです。
実は、ウイグル人の住んでいる土地(タリム盆地、トルファン盆地、ジュンガル盆地。昔から西域と呼ばれ、シルクロードが通っていた乾燥地帯)は支那固有の領土ではありません。1949年、支那共産党が国民党を台湾に追い出した直後に、人民解放軍が侵略して併合し、「新疆ウイグル自治区」ということにしました。
それまでは、この地に支那人などいなかったのですが、支那人の移民がどんどん入り込み、今ではウイグル人よりも支那人の方が多くなっています。そして就職差別をしているため、ウイグル人はどんどん貧しくなっています。さらにウイグル娘が、半ば強制的に支那人の男と結婚させられています。これはウイグル人絶滅政策でもあるのです。
歴史地図を見ると分かるのですが、この地が支那の王朝の領土だったことはありません。漢王朝と唐王朝が短い期間だけ、貿易の利を狙って現地の小国家を服属させていただけです。1750年頃、清王朝がモンゴル人の支配者を追い払ってこの地を支配しましたが、支那に併合したのではなく、現地の社会体制はそのまま残して、単に清の皇帝が現地の国王を兼任したというだけでした。
いまこの地にはウイグル人が住んでいますが、2000年ぐらい前はペルシャ系のソグド人が住んでいました。その後北方の騎馬民族が征服したり、支那人が攻め込んだりしましたが、9世紀にウイグル人が攻め込んできて、住み着いたのです。
ウイグル人はモンゴル高原に住んでいたトルコ系の遊牧民で、強力な国家を作って支那にも攻め込んでいました。それが別の遊牧民との戦いに負けて、今の場所に移動したのです。民族問題を考える時、今だけを見るのではなく、歴史的な経緯も考える視点が必要だと思います。