隣人愛から民族主義が生まれた

欧米諸国や日本が民族主義化し近代国家を作ったのは、「仲間を助けるためなら、法律を破っても構わない」と教える宗教があったからです。この宗教とは、キリスト教と神道です。

キリスト教の教義は、「イエス・キリストと神を信じれば、神は信者の心を正しく強くしてくれる。心が正しくなった信者は、いかなる場合でも神の意志に叶った正しい行いをする。正しい行いとは、隣人を助ける行いである。もしも隣人を助けるために必要なら、法律や社会のルールを破っても構わない」、という内容です。これがFreedomです。

キリスト教がいう「隣人」とは、人類全部という意味ではなく、「親しい仲間」という意味です。具体的には、近代以前はカトリック教徒を意味しました。西欧全体がカトリックでしたから、国境を無視した全ヨーロッパ人が隣人でした。

16~17世紀にかけて宗教改革と反対宗教改革が起こって、イギリスは英国国教会、フランスはカトリック、プロイセンはルター派などと、国ごとに宗派が決まりました。そうなると宗派の分布と国家の領土が一致し、「隣人とは同じ国民のことだ」ということになったのです。このようにして、国民が互いに助け合い外敵に対抗する、という民族主義が生まれました。要するに、民族主義の基になる考え方は、「隣人愛」「仲間同士が助け合う」というものです。そしてそれを補強するのが「国語」です。

18~19世紀にかけての西欧は革命と動乱の時代で、民族主義が高まった国家同士が戦争を繰り返しました。そしてますます民族主義が強まったのです。

キリスト教のFreedomの考え方の「イエス・キリストと神」を神道の「天照大神」に入れ替えれば、そのまま誠の考え方になります。神道は「無私になれ」とよくいいますが、これは「自分のことより仲間を優先せよ」ということで、キリスト教の隣人愛と同じです。

日本は島国で自分の周囲はすべて神道の信者ですから、自然に民族意識が芽生えました。そしてその中心になっているのが天皇陛下です。蒙古襲来のときや幕末に西欧列強が日本を狙いに来た時に、日本はすでにある程度出来ていた民族主義によって対抗しました。

支那や朝鮮はいま、自国民を民族主義化しようと躍起になっていますが、「隣人愛」「仲間と助け合う」という伝統的思想がないので、実現は不可能だと断言できます。

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