アジアの人権活動家は、Freedomや誠の考え方を持っているのか

台湾・ウイグル・チベットは、歴史的に見ても支那ではありません。支那はこれらの国を軍事的に侵略し併合しましたが、さらに現地人を絶滅させようとしているようにも見えます。これらの国は支那ではないので、日本が彼らの「人権」を守るために介入しても、内政干渉にはなりません。

しかし、日本がこれらの国の住民を助けた後、これらの国をどうしようというのでしょう。チベットは支那とインドの間に挟まれています。ウイグルに至っては、支那・ロシア・インド・イスラム諸国のはざまに位置しています。日本には、これらの大国とチベットやウイグルを巡るパワーゲームを行う覚悟と実益があるのでしょうか。

チベットやウイグルは、かつての朝鮮に似ています。120年ぐらい前の朝鮮は、日本・清・ロシアの間に挟まれていました。日本は朝鮮が清の属国になって苦しんでおり、それが日本にとっても不利益になるので、その独立のために、清やロシアと戦争までしました。そして最後には日本に併合して、巨額の投資をし、教育まで授けてやりました。その結果が、感謝されるどころが今の惨状です。

たとえが適切でないかもしれませんが、貧困者にポケットの小銭を恵んでやるのは特に問題ありませんが、家に連れて来て衣食住の面倒を見てやると、その後どういうことになるか想像してください。

アジアの中で、国民全体が仲間となって助け合う(Freedomあるいは誠)という考え方を持っているのは、日本人だけです。だから日本だけが、19世紀の危機を乗り越えることができたのです。

「人権」や「民族自決」というのは、つまるところFreedomや誠のことです。つまり、同じ民族の中で自発的に助けようという考え方です。それでは支那人やチベット人・ウイグル人の「人権活動家」は、Freedomの考え方を持っているのでしょうか。あるいは、単に目障りな権力を払いのけたいと考えているだけなのでしょうか。

多くの日本人には、そのどちらなのかを見極めようという視点が欠けているように、私には思えます。

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