討ち入りしたのは正社員だった

赤穂浪士たちは、吉良上野介を殺害することによって、主君の恨みを晴らそうとしました。そのために幕府の法を破ることになったとしても、神様もそれを是認するはずだから構わない、と考えました。

この誠の考え方は、キリスト教の信仰から生まれたFreedomと同じ考え方です。Freedomは、「人を助けるためには、社会の法律を破らなければならない場合がある。イエス・キリストと同じ正しい心で判断したのであれば、法律を破っても構わない」というものです。

赤穂浪士たち46人は、元禄15年(1702)の12月に吉良上野介邸への討ち入りを実行しました。これより1年半前に126人が筆頭家老の大石内蔵助の指示に従うと誓ったので、その4割が約束を守ったことになります。

将軍のおひざ元の江戸で、徒党を組んで幕府の高官を襲撃し殺害するので、討ち入りが失敗したらみんな討死するし、成功しても逮捕されて死刑になります。どっちにしても命がないのは明らかです。これを覚悟の上で40%の武士が討ち入りに参加したわけで、日本は誠の考えがしっかりと根付いた国だということが分かります。

46人の内訳をみると、今の企業の管理職に相当する家老・物頭が3人、正社員クラスの用人・馬廻り・小姓が33人、非正規雇用に相当する下級武士が10人です。46人の8割は、今の企業で言えば正社員だったということです。

江戸時代の家は、家に所属している正規の武士と家に属していない臨時雇いをはっきりと区別していました。正規の武士は「石取り侍」で、100石とか200石の家禄を殿様から頂戴していました。

これは、100石や200石の米が採れる領地から年貢を徴収する権利があるということです。100石取りの侍ならば、年貢率が40%なので実収入は40石になります。1石20万円で計算すれば、手取り800万円です。但し勤務に要する諸経費は自己負担です。馬廻り役は馬を飼っていなければならないので、かなりの出費になりました。

臨時雇いは扶持(食費)を支給されていました。1人扶持は一日米5合で、年に1.8石です。10人扶持であれば年間手取り360万円で、経費は支給されます。

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