幕府は事件を、恨みによる殺人未遂事件、と判断した

幕府の役人たちは事件発生後すぐに、事情聴取をしました。なぜ浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけたのかを浅野内匠頭に聞きましたが、彼は「吉良上野介に恨みがある」と言っただけで、その恨みの具体的内容を言いませんでした。吉良上野介は恨みをかう様なことをした覚えはない、と答えました。

幕府の役人たちは、浅野内匠頭が発狂したのではないか、と疑いました。やった事があまりに常識から外れていたからです。しかし浅野内匠頭が冷静に事件の経緯を役人たちに語ったので、現代の進んだ医療知識を持たない幕府の役人たちは、彼を正常だと判断しました。実は、内匠頭のような態度は、精神疾患を持つ患者によく見られるそうです。

次に役人たちは、事件が喧嘩か否かを調べました。戦国時代から江戸時代を通じて「喧嘩両成敗」という法が確定していました。もしも喧嘩だと認定されれば、吉良上野介も有罪になります。浅野内匠頭が斬りつけたのに対し、吉良上野介は逃げ出しただけで、刀を抜いて反撃することはありませんでした。そこで役人たちは、喧嘩ではなく、浅野内匠頭の一方的な殺人未遂だと判断しました。

結局役人たちの事実認定は、「浅野内匠頭は、狂人ではなく正常で責任能力がある。彼は恨みをもって吉良上野介に斬りつけた。ただし恨みの具体的な内容は不明である。吉良上野介は、額に傷を受けたが反撃せずに逃げ出した。江戸城内で刀を抜いてはならない、という法を守ろうとしたからである。従って事件は喧嘩ではなく、浅野内匠頭の殺人未遂と認定される」

将軍綱吉はこの事件の裁判を老中まかせにせず、自ら裁判長になりました。朝廷との良好な関係を維持するという幕府の重要な政策が浅野内匠頭によって危うくなり、怒り心頭に発していたからです。

綱吉は、浅野内匠頭が江戸城内で刀を抜いてはならないという法に違反して殺人未遂を犯した、と判断しました。そして浅野内匠頭は切腹、御家は取り潰しという判決を下しました。彼の切腹は事件当日の内に執行されました。一方の吉良上野介は幕府の法律を守った被害者ということで、おとがめなしでした。将軍からは、「十分に休養して傷を治すように」といたわりの言葉さえ頂戴ました。

幕府は、「浅野内匠頭は吉良上野介に恨みを抱いていた」及び「これは喧嘩ではなく殺人未遂事件である」という二つの事実認定をしましたが、これが後に様々な波紋を呼びました。

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