誠は二重構造になっている

神道は、天照大神と天皇陛下を中心とした神々のネットワークです。日本人は、家の近くの神社をお参りすることによって、日本全体を包含する大きな家の一員になります。

神道という宗教がなかったら、日本人は多くの家に属する集団に分裂してしまい、日本人としての一体感を持つことができなくなるでしょう。そうなれば日本は、支那やインドのようになってしまいます。

神道という宗教を信用しない人も嫌いな人もいると思います。しかし多くの日本人が昔から神道を信仰してきたことによって、日本の現実社会が良くなったということは事実として認めなければなりません。

若いときの私は、神道がどういうものか分かっていませんでした。幕末に多くの日本人が日本を危機から救おうとして、熱狂的に天皇陛下を崇拝していましたが、私には彼らの気持ちが分かりませんでした。

ところが幕末だけでなく今でも、狂気とは無縁で理知的な多くの日本人が、天皇陛下を積極的に評価しています。私はこの事実をずっと考えてきて、最近になってやっと回答が見つかりました。

神道と天皇陛下のご存在によって、日本人は血縁関係にない者をも仲間だと感じることができ、互いに助け合うことができるようになっています。誠は、日本人どうしが助け合うという考え方ですが、神道があって初めて成り立ちます。

いままで説明してきたように、家は二重構造になっています。大名の家や今の企業のように比較的小さい家が日本中に無数にあります。日本人はそのどれかに所属して、その中でお互いに助け合い、誠を発揮しています。

さらに、天皇陛下を中心とし日本全体を包含した「日本」という家があります。これによって日本人全体が互いに助け合って、数々の困難を乗り越えてきました。家が二重構造になっているために、誠の考え方も二重構造になっています。

欧米には家という考え方がなく、同じキリスト教徒同士が助け合うFreedomが単層であるだけです。ここが誠とFreedomとの違いです。

Identity(自分がどういう集団に属していて、何者であるかという意味)という英語があります。日本人は、自分がどこの会社に勤めているかを必ずはっきりさせたうえで、趣味とか家族の話をします。ところが欧米人は自分の勤めている企業の名を言うことはまれで、「エンジニア」だとか「経理の仕事をしている」など、具体的にやっている仕事を説明します。彼らには企業に所属しているという感覚がありません。

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