憲法の原則は、民族の宗教的な伝統から来ている

君主が主権者の国では、君主が憲法を制定します(欽定憲法)。これに対して国民が主権者の場合は、国民が憲法を定めます(民定憲法)。大日本帝国憲法は欽定憲法だが、日本国憲法は民定憲法だ、というわけです。

しかし私は、この区分は意味がないと考えています。ほとんどの憲法は、人間が紙に書いて作っていますが、その内容は神が決めているからです。まともな国の憲法はみな、「神定憲法」です。

例えば、アメリカ合衆国憲法の前文に相当する「独立宣言」の冒頭には、下記のように書かれています。
「われわれは、以下の事実を自明のことだと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福(財産)の追求を含む不可侵の権利を与えられている」

この独立宣言に書かれている内容に沿った形で、アメリカ合衆国憲法が作られました。「独立宣言」を起草したのは第三代大統領のトーマス・ジェファーソンです。しかし、その内容である平等・身の安全・自由の権利と・所有権の保障を人間に与えたのは、創造主(キリスト教の神)です。つまりアメリカ合衆国憲法は、神定憲法です。

大日本帝国憲法が制定された際、明治天皇は天照大神などの神にこのことを報告しました。この時に天皇陛下が神前で読み上げられた「告文」には、下記のようなことが書かれています。
「この憲法は、皇祖皇宗が子孫に残した統治に関する教えを具体的な形にしたものに他ならない(此レ皆皇祖皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス)」

天照大神及び皇室の先祖の神々からずっと受け継いできた統治のやり方を憲法という体裁にまとめたものが、大日本帝国憲法なのです。つまり大日本帝国憲法も、神定憲法です。

憲法の根幹にある考え方は、制定者が勝手に考え出したものではなく、その民族の伝統的な宗教の考え方から来ています。それを「欽定」「民定」などと、憲法制定者が考え出したように言うのは、人を誤解させます。

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