正しい法によって支配されていれば、民主制でなくても良い

19世紀末、伊藤博文が西欧に憲法の勉強に行きましたが、彼と話した多くの西欧人学者や政治家は、民主制(多数決)に対して「衆愚制」だと否定的に考えていました。それは、西欧人が学校でギリシャ・ローマの古典を頭に叩き込まれたために、民主制をあまり評価しないギリシャの政治思想に強く影響されていたからです。

アリストテレス(紀元前384年~322年)は、ギリシャの学問を集大成した大学者です。彼は、一般的には哲学者と呼ばれています。しかし、当時の学問は今のように数学・経済学・政治学などに専門化しておらず、全て哲学と呼ばれていました。

アリストテレスは今風に言えば、哲学者というよりも、色々なことに興味を示す「物知りの先生」で、あの有名なマケドニア王国のアレクサンドロス大王の家庭教師でした。『政治学』という本を書いて、様々な国家体制の優劣を論じています。

彼は国家体制を、何人の主権者で政治を行うかという区分と、どういう法に基づいて政治を行うかという区分によって、6つに分類しました。彼は国民がみんな納得する法が正しいと考えました。異民族が力で支配している国や金持ちしか政治に参加できない国では、法は征服民族や金持ちに都合よくできているので、被征服民族や貧乏人はその法に納得しません。そのような法は不正なのです。

*           正しい法による支配   不正な法による支配
一人が政治を行う      王制  ○       僭主制  ×
少数が政治を行う      貴族制 ○       寡頭制  ×
みんなで政治を行う     国制  ○       民主制  ×

アリストテレスは、国民のみんなが納得する法に基づいて政治を行うのであれば、一人で政治をやろうがみんなでやろうが大した問題ではない、と考えていました。そしてみんなで政治を行う場合でも、衆愚に陥る場合を「民主制」としています。

19世紀末の西欧人は、みんなで政治をやると衆愚になりやすいと考えて民主制に反対し、「正しい法」による支配が望ましいと考えていました。

英語のリパブリックはラテン語のレス・プブリカから来ています。これは「正しい法による支配」というのが本来の意味で、王様の存否は関係ありません。日本人はリパブリックを「共和制」と訳して「王様がいないこと」と理解していますが、これも誤訳です。

ナポレオンはフランスの皇帝になってから金貨を発行しましたが、その表面には「フランス・リパブリックの皇帝」と刻印しています。