敗戦後に、日本のマスコミや学者は、「天皇機関説事件」を「右翼が言論の自由を弾圧し、議会制民主主義を否定した事件だった」「この事件を境に、以後日本は軍国主義化し、戦争への道を走った」と評価しています。
また、「大日本帝国憲法は天皇が主権者だと規定し、国民に自由などなかった。戦前の日本では、軍部はこの憲法を利用して独裁政治を行った」と主張しています。
敗戦後にマスコミや学者が大日本帝国憲法の悪口を散々言っているために、多くの日本人はこの憲法の内容を知らず、天皇陛下を操る勢力が好きなことをした、と誤解しています。
しかしこの憲法は、国民に自由と平等を保障しています。第19条は国民に平等を保障しています。第22条(居住の自由)、第23条(不当に逮捕されない自由)、第24条(裁判を受けなければ罰せられない自由)、第25条(不当に家宅捜査されない自由)、第26条(信書の秘密を守る自由)、第27条(所有権を犯されない自由)、第28条(信教の自由)、第29条(言論・集会・出版・結社の自由)など様々な自由を国民に保障しています。
明治22年に制定された大日本帝国憲法を、欧米列強は高く評価しました。日本が不平等条約を改正できたのも、欧米列強が日本をまともな憲法を持った近代国家だと認めたからです。
イギリスもアメリカも、大日本帝国憲法は自国の憲法と比べても遜色がない、と判断しました。イギリスとアメリカの憲法は当時からほとんど変わっていないので、大日本帝国憲法は今の両国の憲法と同様の質の高さを持っています。
日露戦争が起きた時(明治37年)、列強は「憲法を持った近代国家(日本)と野蛮な専制国家(ロシア)との戦いである」と考えました。当時のアメリカのルーズベルト大統領は、近代的な憲法を持っているから日本は戦争に勝つだろう、と勝敗の行方を予想しました。
大東亜戦争の敗戦後に、政府が美濃部達吉博士に新しい憲法に関して意見を求めたところ、彼はこれを変える必要はない、と回答しました。今の憲法学者のほとんどは、美濃部達吉の孫弟子かひ孫弟子なのですが、彼らは恩師と反対に大日本帝国憲法の悪口を散々言っています。