昭和天皇は、最終的には議会や大臣の決定に従う、と考えておられた

昭和天皇は、政治や外交に関してご自分の考えを大臣・重臣たちにかなりはっきりと伝えていました。大臣・重臣の方も自分たちの意見を昭和天皇に伝えていて、お互いに議論しています。彼らは必ずしも、昭和天皇のご意見に賛同したわけではありませんでした。

御前会議など正式の会議で決まったことについては、昭和天皇はたとえそれがご自分の考えと違っていても、一切反対はしませんでした。「大日本帝国憲法の規定により、正式な会議で決まったことは天皇も守らなければならない」と昭和天皇は、考えておられたからです。ただし、正式に会議で決まる前は、ご自分の意見を述べても構わない、と考えておられました。

このような考え方は昭和天皇だけでなく、明治天皇も同じでした。明治天皇は日清戦争に反対されていましたが、御前会議で決まったらそれを了承しておられました。ただし、「日清戦争は、朕の戦争ではない」とも仰っておられました。

戦前の大日本帝国憲法は、天皇陛下を日本の主権者としていました。
第1条:大日本帝国は万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第4条:天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ
第5条:天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第55条:①国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス ②凡テ法律勅令ノ国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス

上記のように、大日本帝国憲法は、天皇陛下が自ら政務を行うことを規定しています。しかし、この憲法を起草した伊藤博文は『憲法義解』という注釈書を書いて、少し違うことを書いています。

古代日本や19世紀後半の欧米の政治体制を引用して、君主が一人で政治を行えるわけがない、と述べています。そしてイギリスの議院内閣制のような形にすべきだ、と考えているのです。この『憲法義解』の考え方が戦前の政府の公式見解でした。

昭和天皇も、政府の公式見解と同じように考えておられました。即ち、実際の政治については議会や大臣・重臣の決定に最終的には従うべきだ、と考えておられたのです。その一方で自らが主権者だという自覚がおありだったので、ご自分の意見を積極的に述べておられました。その結果、天皇陛下と大臣の間で活発な議論が行われました。