FreedomとEqualityという近代国家の大原則は、昔から日本にあった

大日本帝国憲法の告文は、憲法の規定は天照大神などの神が後世に残した統治に関する教えを具体化したものだ、と述べています。その一方で、この憲法は自由(Freedom)と平等(Equality)を国民に保障しています。ということは、FreedomとEqualityの考え方は、大昔から日本にあったということです。

「お前は昨日、FreedomとEqualityはキリスト教の信仰から生まれたと言ったではないか。大昔の日本にキリスト教など到来していなかったから、FreedomとEqualityが大昔から日本にあったはずがないではないか」とおしかりを受けそうです。

実は、キリスト教と神道は宗教の構造が極めて似ています。イエス・キリストと天皇陛下は共に神と人間の間を仲介する存在で、その役割が同じなのです。その他にも同じところがたくさんあります。

従って、Freedomと同じ考えが日本にもありました。それが神道の信仰から生まれた「誠」です。Freedomは誠と訳すべきだったのですが、自由という仏教用語を訳語に使うというミスをしたのです。

またEqualityも仏教用語の平等を訳語にあててしまいました。この二つの考え方は似ている部分もありますが、大きな違いがあります。仏教の平等はいかなる場合にも適用されるのですが、Equalityは適用される場面が狭く限定されています。

神道はそれぞれの人間の個別の役目を重視するので、平等が適用される範囲を狭く限定しています。Equalityと神道の平等の考え方は良く似ています。

このようにFreedomとEqualityに相当する神道の考え方が日本にもあったので、大日本帝国憲法の説明は間違いではないのです。幕末・維新期の日本にすでにFreedomとEqualityと同じような考え方があったからこそ、日本は近代化に成功したのです。

「大日本帝国憲法の原則であるFreedomとEqualityの考え方が、明治よりもはるか前から日本にあった。大日本帝国憲法の告文は、このことに言及している」ということは、極めて重要な事実です。ところが日本の憲法学者は、このことを指摘しようとしません。

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