全ての国民が選挙権を持つ様になったのは、二つの世界大戦があったため

「誰が主権者か」という問題は確かに重大ですが、決定的なことではないと私は思います。そもそも個人が単独で完全に主権を行使することなど不可能で、制度に基づいて広く意見を聞いて多くの有能な人に支えてもらうのでなければ、政治はできません。「主権者は誰か」ということよりも、「どういう政治を行うか」の方が大事です。

「民主主義」という言葉には様々な意味があとからくっついてきましたが、基本的には「多数決」の原則のことです。19世紀の後半に伊藤博文は、憲法の実態を調べるために欧米に勉強に行きました。

そして有名な憲法学者や皇帝、政治家などの話を聞いたのですが、民主主義(多数決)を良い制度だと考えている者は誰もいませんでした。彼らのほとんどは、国会の権限を大きくしてはならない、と博文に忠告しました。その当時、全ての成人国民が選挙権を行使する普通選挙を行っている列強はありませんでした。

しかしそれから40年ぐらい経つ間に、欧米でも日本でも全ての成人男子に選挙権が認められるようになりました。別に支配層の心が入れ替わって民主主義に目覚めたからではありません。その間に第一次世界大戦があったからです。

19世紀までの戦争は金で雇われた傭兵が兵士になっていましたが、第一次世界大戦は総力戦で、徴兵された男子が兵士となって戦いました。祖国のために命がけで戦う者に対して政治参加を認めなければ、誰もまじめに戦おうとしません。

戦争と参政権の関係が分かると、第二次世界大戦後に世界中で女性の参政権が認められた理由もわかります。戦争中、兵士になった男性の代りに女性が働いて国を支えたからです。100年の間に世界中で女性も含めた全ての成人国民が選挙権を持つようになったのは、民主主義がよりよい政治を保障するからという理由ではなく、戦争に勝つためでした。

最近は兵器の性能が飛躍的に向上しましたが、操作するには専門知識が必要です。徴兵された素人は、現代の戦争では使い物になりません。従ってこれからの世界は、徴兵制がなくなるでしょう。そうなると、全ての成人国民に選挙権を付与するという制度は骨抜きにされ、実質的に廃止される可能性があります。アメリカの選挙制度は、すでにかなり骨抜きにされています。

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