キリスト教と神道は似ている、と告げる

「日本には、昔からFreedom(自由)や平等と実質的に同じ考えがあった」ということを欧米人に理解させるには、「キリスト教と神道が良く似ている」ということを説明するのが一番早いと思います。この二つの宗教が似ていることについては後で詳しく書こうと思いますが、今は大雑把に書きます。

第一に、どちらの宗教も現世の生活を幸せにしようとします。キリスト教の律法は、「盗んではいけない。不倫をしてはいけない」と人間に命令していますが、これは財産を所有し結婚してセックスすることを前提とした掟です。仏教のように全てを捨てて出家することなど、人間に要求していません。神道も出家などを考えず、社会生活を楽しむことを前提にしています。

次に、どちらの宗教も風が神様の魂を人間に運びます。キリスト教の神は、自分の魂の一部分(聖霊)を風に乗せて人間に送ります。聖霊は人間の魂に付着し、その魂を正しく力強くします。聖霊のことをプネウマと言っていますが、この言葉は風や息を指します。

神道も、神は自分の魂を風に乗せて人間に送ります。神の魂は人間の魂に付着し、その魂を元気にしまた正しくします。これを行うのが、「タマフリ(魂触り)の神事です。神が野山に向かって息を吹きかけると、木々に生命力がみなぎり春がきます。これが「春の息吹き」です。

三つ目に、どちらの宗教も仲間を助けることを重視します。神の魂が付着した魂は、神と同じように正しくなるので、自然に仲間を助けるようになります。このような心をキリスト教は「隣人愛」と言い、神道は「無私の心」と言っています。

四つ目に、神と同じ正しい心を持ち、人のためになることをするのであれば、世俗の法律や掟を破っても良い、と考えます。これをキリスト教ではFreedomと言い、神道では誠と言います。Freedomを自由と訳したのは誤訳で、誠と訳すべきでした。西欧キリスト教社会で生まれたFreedomと同じ考え方が、日本にも昔からあったのです。

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