天皇陛下はただの君主ではない、と説明する

イエス・キリストあるいはローマ教皇はその役割が天皇陛下と非常に似ている、ということも言わなければなりません。

イエス・キリストは、神様と人間との間を仲介する存在です。イエス・キリストの心は神様の心とつながっていて、神様の意思を人間に伝え、人間の願いを神様に取り次ぐ、一種の受発信装置です。

天皇陛下が即位されるとき、「大嘗祭」という神事を行います。その神事によって、天皇陛下の魂に天皇霊(ニニギのミコト及び歴代の天皇陛下の魂が集まったもの)が付着します。天皇霊と天皇陛下の魂が一体になったものは一種の受発信装置で、人間の願いを神様に発信し、神様の意思を受信して人間に伝えます。

このようにイエス・キリストと天皇陛下は、役割が良く似ています。イエス・キリストの地上における代理人がローマ教皇ですから、天皇陛下はローマ教皇に似ているとも言えます。

西欧の皇帝や王様と日本の天皇陛下の役割は同じだと考えている人が多いですが、実は全然違います。戴冠式で、受発信装置であるローマ教皇によって王冠をかぶせられるのが西欧の君主なのであって、彼らは神によって選ばれた者ではありますが、ただの人間です。天皇陛下はただの人間ではなく神様と人間をつなぐ受発信装置なので、君主に王冠をかぶせるローマ教皇と同じ立場なのです。

鋭い政治家は、天皇陛下がただの君主ではないことに気がついています。大東亜戦争終結時、アメリカは何が何でも天皇陛下を廃位しようとしました。それは彼らが、天皇陛下がローマ教皇に等しい力を持っていることを知っていたからです。

天皇陛下が海外に行かれると、非常に尊敬されます。オバマ大統領が来日して天皇陛下に謁見した際に頭を下げすぎて、アメリカ議会で「大統領は天皇陛下と同格のはずで、頭を下げすぎた」と糾弾されたほどです。

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