人種差別はいつでも起こりうる

欧米と日本の関係について、考えようと思います。西欧と米国はどちらもキリスト教国で、Freedom(自由)という考え方を持ち、国民同士が互いに助け合うことのできる先進国です。

お互いに助け合うには、約束を守り相互に信頼が生まれていなければなりません。したがって西欧や米国は、約束を守る社会です。日本は、アメリカや西欧とならお互いの利益や安全を守るために約束(条約)をすることも可能です。

もちろん相手の言うことをそのまま信用してかまわない、という意味ではありません。欧米も自分の利益を最優先するし、日本に対するライバル意識や好き嫌いの感情もあるでしょう。ただ言えるのは、彼らと約束をすれば、彼らなりに約束を守ろうという努力ぐらいはするだろう、ということです。

ただし欧米は、もともと人種差別と宗教差別をする国だ、ということを忘れてはなりません。彼らが「日本人は有色人種で異教徒だから信用できない」と考えれば、約束を守らないかもしれないし、そもそも対等の約束をしようとしなくなるかもしれません。

そして欧米が日本を信用できない国だ、と判断する危険は絶えずあります。歴史的に見ても、「人種差別や宗教差別はいけない」というグローバル主義が普及した戦後の数十年がむしろ例外で、それまでの数百年間は差別するのが当たり前でした。

日露戦争の時、日本は日英同盟を締結して戦争に備えましたが、それだけではなくアメリカの好意的中立をとりつけました。セオドア・ルーズベルト大統領は中立国としてできる限りの支援を日本に対して行いました。この時、アメリカは日本に対し人種差別政策を止めたようにも見えました。

ところが日露戦争が終わるとすぐに日本人を人種差別しはじめ、日本人の移民を禁止するようになりました。ロシアと戦争する前は、世界中の誰も日本が勝つとは思えませんでした。そこでアメリカ中が、弱い者に味方するいわゆる「判官びいき」の気持ちになったのです。しかし日本が勝ったら、アメリカ人は本来の人種差別主義者に戻りました。

このような事実があったことを、忘れるわけにはいきません。人種差別など過去のことだ、と考えるのは非常に危険です。

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