新脱亜論

キリスト教と神道はよく似ています。ところがこのことに、多くの日本人はまだ気がついていません。昭和10年(1935)、東京帝国大学の憲法学教授だった美濃部達吉は、「天皇機関説」という学説を唱えたために、一切の公職をはく奪されました。

この事件は、「狂信的な右翼によって美濃部教授は不当に攻撃され、言論の自由が奪われた」というように、一般に教えられています。しかし実際は、美濃部博士が日本のことを良くご存じなかったために起きた事件でした。

彼はドイツに留学して「皇帝機関説」という学説を学びました。そしてドイツ皇帝陛下と天皇陛下は同じ存在だと誤解してこの学説を日本に導入し、「天皇機関説」として発表しました。ところがこの学説が天皇陛下の実際の役割と違っていたために、非難されただけなのです。

すでに書いたように、約束を守らないアジア諸国(特に東アジア諸国)と約束(条約締結)をして、抜き差しならないドロドロの関係を持ってはなりません。日本人は、「誠は必ず通じる」と考えて大失敗した苦い経験を持っています。彼らに誠は通じないことを、しっかりと肝に銘じるべきです。

欧米に対しては、キリスト教と神道が似ているから共通の価値観を共有できることを説明し、共存の関係を模索すべきです。

福沢諭吉は、明治初期に『脱亜論』を主張しました。この論文の中で諭吉は支那と朝鮮を「悪友」と呼んでおり、日本がこれらの国と付き合いを続ければ、西欧列強は日本も彼らの同類だと誤解するだろうと考えました。「だから彼らとの付き合いを止めよう」というのが彼の結論です。

不幸にして日本は福沢諭吉の忠告に従わなかったために、えらい目に遭いました。私も「新脱亜論」を主張して、支那や朝鮮と付き合うのを止めるように主張いたします。諭吉は「脱亜入欧」を唱えて、西欧の考え方を身につけようという主張もしました。しかし、この点については私の意見は違います。日本は今のまま「誠」を大切にすれば、それで良いと考えます。

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