日本国憲法を制定するときは、国民投票は行われず国民の同意を得ていません。「国民が腹の底からその憲法体制に納得した時に初めて、その憲法は成立する」、というのが憲法学の大原則です。
どういう場合に「国民が腹の底から納得した」といえるのかについては、個々に判断するしかありません。多くの場合は、革命がこれにあたります。
18世紀末にフランスで革命が起きました。旧体制派と新体制派が争い、戦いによって多くの血が流れました。戦いに勝った新体制派は自分たちの考え方が正しいと確信することができ、負けた方は抵抗力を失って諦め、結果的に新体制を受け入れました。
明治維新もアメリカの独立戦争も同じです。このような流血の惨事がなくても、国民投票という形で国民の意思が確認できることもあります。憲法が成立するには、最低でも国民投票で過半数の賛同を得なければなりません。
日本国憲法の場合を考えると、アメリカ占領軍が書いた案を衆議院と貴族院が承認しただけです。合計しても千人ほどの人間がこっそりとやったことで、国民はツンボ桟敷に置かれたままでした。日本は戦争で多くの人が血を流しましたが、日本国憲法を作るために血を流した人は一人もいません。
少数の密談で作ることができるほど、憲法はいい加減なものではありません。国民投票さえしていないというのが、日本国憲法の致命的な欠陥です。日本の憲法学者はこの欠陥を隠したまま、「日本国憲法はちゃんと成立している」と宣伝をしています。
1952年サンフランシスコ講和条約の発効により、日本は独立を回復しました。この時が、日本国憲法が成立していないことを宣言するチャンスだったのです。吉田茂首相もこのことを承知していましたが、この憲法が成立しているという虚構をそのままにしておくことに決めました。