名経営者は、誠の経営をしている

誠は、神道の信仰から生まれました。神道では、神様は普段は天上にいるので、来てもらおうと思えば、客人としてそれなりの接待を準備したうえでお呼びしなければなりません。お酒や料理を用意し、舞楽などの余興を準備したうえで、所定の儀式を行ってお招きするわけです。神様は客人なのです。神様が人間の接待に満足すれば、神様は豊作や子孫繁栄などの幸いをもたらしてくれます。

神様に気に入られるには、神様に対して誠意をもって接しなければなりません。このへんは人間同士の付き合いと同じです。神様をお迎えする儀式を行っているときになにか緊張した雰囲気が漂ってきます。ちょうど西行法師が伊勢神宮にお参りした時に感じたようなものです。この時彼は、「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という歌を詠みました。

このような時に神様から受けたメッセージを素直に受け入れれば良いのです。それがたとえ世間の常識に反するような場合でも、それに従っていれば、現状を打開することができます。

このような神と接するときの態度から、誠という考え方が生まれました。自分の利害はとりあえず外に置いて心を澄ませて考えた結果、それが正しいと思ったのであれば、たとえそれが社会的なルールや常識に反することであっても、行わなければならないのです。

この神道の誠の考え方が、日本の企業にも流れ込んでいます。企業では日々様々な問題が起こります。その時に経営者が、自分の事だけでなく社員や顧客・株主のことを、心を澄ませて考えるのです。そして正しいと思った対策を粘り強く行うのです。

松下幸之助など日本の名経営者は、どうやらこのようなことを実行するコツを会得していたようです。その結果、彼が経営する企業は大発展しました。

日本人には、企業に対するこのような考え方が染みついていて、簡単には消せません。それを否定して欧米式の「企業は100%株主のものである」という発想を導入してもうまくいかないと思います。その良い例が東芝です。

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