キリスト教は、自らの宗教が絶対に正しいと考えている宗教です。人間がイエス・キリストを信じたらその時に初めて、神様はその人間に自分の魂を吹き付け、その者の心を正しくします。イエス・キリストを信じない者は、いくら努力をしても自分の心を正しくすることは、できません。
異教徒は心が邪悪だとキリスト教は考えるので、彼らを力で屈服させて無理やり正しいことをさせようとします。これがFreedomです。そして「正しいこと」というのは、キリスト教の教えに沿ったことです。
つまりキリスト教は、異教を排してキリスト教を全世界に広めようとします。近代になって西欧諸国の国力が増大し、アジア・アフリカにやってきて、宣教師を大量に送り込み、その地を植民地にしました。アジア・アフリカの国民地化は、客観的にはどうであれ、西洋人としては原住民をキリスト教徒にしようとした運動なのです。
西洋諸国が日本を植民地にしようとした動きは、16世紀と19世紀の二回ありました。16世紀半ばにフランシスコ・ザビエルなどが日本を植民地にしてキリスト教化しようとしましたが、この時は豊臣秀吉と徳川幕府が強力な軍事力を背景にして、彼らを追い払いました。
19世紀中ごろに西欧諸国が再度日本にやってきた時は、日本には彼らを追い払う軍事力はありませんでした。そこで、植民地化を免れるため、自ら進んでFreedomを受け入れました。これが文明開化であり、脱亜入欧です。
19世紀半ばに二回目に日本にやってきたときは、西欧諸国はキリスト教の布教を真正面から要求せず、Freedomという一見宗教とは関係のない価値観に従うことを求めました。18世紀に啓蒙思想と市民革命を経験し、19世紀に入って産業革命と自然科学の発展を成し遂げた西欧社会では、キリスト教の勢力が衰え始めていたのです。
イギリスの学者であるジョン・スチュアート・ミルが書いた『On Liberty(自由論)』は、Freedomがキリスト教の信仰から来たことに触れていません。だから維新当時の日本人は、キリスト教に改宗しなくても教科書通りに振舞えば、西欧諸国も日本を認めてくれる、と考えたのです。実際、イギリスは日本の努力を認め、1902年には対等な立場で日英同盟を締結しました。この同盟を背景にして1904年~1905年の日露戦争に日本は勝ちました。
第一次世界大戦までは、イギリスが世界の最強国でした。そのイギリスがキリスト教国ではない日本をFreedomの考え方を備えていると認めていました。また日本もFreedomの意味をかなり正確に理解していました。
ところが第一次世界大戦後にアメリカが世界最強国になりました。アメリカはキリスト教の影響が非常に強い国ですから、相手国がキリスト教か否かを非常に重視します。アメリカはFreedomを非常に重視しますが、それをキリスト教の信仰に沿って解釈します。ところが日本人は明治以来、Freedomとキリスト教が無関係だと思っていました。そのために、アメリカ人の思考を理解できなくなったのです。
さらにこの頃になると、日本人はFreedomを「自由」という仏教用語を使って訳し、仏教の教義で解釈したため、その意味をまったく誤解するようになりました。ところが日本人は、世界の環境が変わったことも、自分たちの考え方が変化したことにも気づきませんでした。その結果、日本人は世界から孤立し、アメリカとの関係がどんどん悪くなりました。